・ホームページ雑感・


ホームページを開設しておよそ5か月、やっと少し自分や周囲のホームページ事情といったものが見えてきたような気がする。
私のホームページは、極めて私的で地味な内容であるから、もともと公開するという意識はあまりなかった。
写真や絵のようなビジュアルなものであれば、見ているだけでも美しいとか、素晴らしいとか感動を誘うこともできるが、私が当初公開したものは日記と自分史である。どちらも極めて個人的なものであり、ましてや、書かれている時代もかなり古い。その時代背景などに興味をもってもらえるとしても、同世代のウエブ愛好者は数も少ないし、私の知人でもパソコンを扱える者はほとんどいない。ひたすら孤独にパソコンと向き合わざるをえなかった。日記はいずれ整理しようと思っていたので、こつこつとデータ化していくことには、私なりの意義を見つけて納得していた。
いざ自分のホームページを持ってみると、他の人のホームページも気になるもので、時間が許す限り、リンク(リンクの効用も初めて認識した)をたどりながら、色々なホームページを回ってみることが習慣になり、楽しくもなった。
ホームページの管理人(この言葉のイメージは、未だに馴染めないでいる)の多くは若い世代である。私は主にテキスト系のホームページをターゲットにしているが、トップページはやたらと横文字が多く、文字は小さく、おまけに背景色に負けて読みづらいこともしばしば。いったい読ませる気はあるのかと腹立たしくなるのだが、別の意味で、私のホームページもあまり読ませる自信はないので、そのつど反省しながら、根気よく若い人たちのホームページに付き合うことにした。
その結果、日記と詩を掲載しているホームページが多いということに気がついた。これはホームページという発表形態の特性からくるものかもしれないが、日記はほぼ毎日更新するもの(私の日記のような古いものは例外だが)であるし、詩は読むのにそれほどの時間はとられないので、比較的気軽に読んでみるという事情もあろう。
一部を除いて、ほとんどの日記は、それほど読ませることを意識して書かれているものではないだろうし、また読んでも共感は持ちにくい。そのホームページが毎日顔を新しくしているという、管理人の努力に感心するだけである。
ただ、心や体を病んでいる人の日記は、切実な部分で生活しているせいか、なかには日々を綴ること自体が生きることでもあるような日記があり、思わず引き込まれて読んでしまう。やはり日記が読ませるものになるためには、生きるぎりぎりのところで、裸になって書かれなければならないものかと考えさせられた。
一方、詩というものにこんなに出会ったのは本当に久しいことである。現代詩がひたすら難解なものに向かい、我々もいつしか詩から遠ざかったし、雑誌や新聞からも詩というものが姿を消して久しい。それがインターネットの世界で、それも若い人たちの間で盛んに熱い詩が書かれているのを発見して、私はびっくりすると同時に感激してしまった。
最近の言葉でいえば、詩と写真とのコラボレーションや、JAVAスクリプトを駆使した、ビジュアルとしての詩の世界を展開しているホームページなどを見ると、詩こそテキスト系のホームページに最も適したジャンルではないかとさえ思うようになった。言葉を視覚的に生かした、新しいホームページの可能性があるような気がするのである。
そこで、私も少し色気を出して恋の詩などを何十年ぶりかで作ってみた。ずうずうしくも、まだこんな詩が書けたことが我ながら驚きではあったが、少しでも若い人たちの仲間入りができないものかといった試みでもあった。(これでも若い頃は詩を書いていたのだ)。
私の詩は、熱い思いとは裏腹にほとんど反響はなかったわけであるが、もともと、私のホームページを訪ねてくれる人も数えられるほどなわけだから、この結果に落胆するのもおこがましいというものだった。それでも、自分のホームページを持ってみると、毎日カウンターの数字をにらみながら、あえない期待もしてしまうものである。
しばらくすると、私はBBSとか掲示板というものの存在を知った。かつて私は駅の掲示板すら利用したことはないのだから、ホームページにどうして掲示板があるのかもよく解らなかった。
ある時、「訪問いただいた記念にBBSにひと言書き残してください」という言葉が目に付いた。私もそれまでには、かなりのホームページを見て回っていたのだが、黙って開いて黙って閉じてバイバイというやり方が、挨拶もなしに他人の家の玄関から入って裏口に抜けて帰るような、なんとなく後ろめたいものを感じていたところだった。
そこへ「どうぞ」と声を掛けられたようなものだ。気が弱い私は、「では」というわけにもいかず、いつものように黙ってすごすごと帰ってきたのだが、その時、私は神の声を聞いたような気分になって、すぐさま自分のホームページに掲示板を導入してしまった。
その後、気をつけてみると、数多いホームページの中には二つも三つも掲示板があったり、掲示板しかないようなところもあって驚かされたが、そんなところの掲示板はなかなか盛況で、ホームページの中でも一番輝いて見えたりするものである。
私の掲示板は、なんせ訪問者の少ない私のホームページにくっついているのだから、そうそう書き込みを期待するのは無理というもので、閑古鳥が巣をかけないように、時々自分で書き込みをする始末。それでも、たまに慈悲深い書き込みがあったりすると、こんなに嬉しいものなのか、ホームページをもっていて良かったと、その時は掲示板なるものの存在に感謝感激をしてしまう。
そこで、このありがたい気持を、すぐによそのホームページに振り向ければいいようなものの、人のことより自分のホームページの心配をしろと言われてしまいそうで、ついつい書き込みをすることには引けてしまうのである。
自分のホームページを持ってみて、初めて知らされることはたくさんあった。私は今後、自分のホームページをどのように方向づけていこうかなどと、少し余裕が出てきたふりをして思案中である。
どのようにといったところで、中味はこれだけのものなのだから、声高に呼び込みをするほどのものもない。けれども、地道にこつこつと更新だけを続けていくのも、最近は淋しい気がし始めている。
ホームページの開設によって、詩や文章を書くことの楽しみに、小さな灯が点ったことは良かったと思っている。この熱い思いは、ノスタルジアに似た懐かしさを伴っている。どこか遠い日の感覚に繋がっているのかもしれない。


(写真は風船葛の花と実。実ははじける時にポンと音がするそうです。)
(2003/07)



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