・父の遺言状・


3月の初めに九州で、父の七回忌の法要があった。
死んだ人のまわりでは、歳月の歩みばかりがことさら早い。
その間に、母はいちども父の夢を見たことがないという。
いつのまにか父の年齢を追い越し、記憶力も悪くなって、夢を見てはいても、目が覚めると忘れてしまうのではなかろうか。それとももう、本当に夢にも出てこないのだろうか。そのことを言うときの母の口調はすこし厳しくもある。
6年もたつと、死んだ人のまわりのことなども、死者とともに薄らいでゆくもののようである。かつては花が咲いた父のゴシップなども、あの女はまだ生きてるのかねえ、といったていどで終わってしまう。

父は86歳で突然に死んだのであったが、父の死後、遺品の整理をしていた母が、ある封書を見つけ出して小さな騒ぎがおきた。それは一見さりげなくみえる1通の遺言状だった。
その遺言状は、父が書き残したものではなく、父が長年親しくしていたある女性が書いて父に渡していたものだった。
その間の詳しい事情は、今となっては誰にも分からないのだが、父としても、そんなものを持っていても、誰かれに見せられるものではなかったろうし、とりあえず、引き出しの奥にでも仕舞っておく以外になかったものとみえる。
晩年に、女は痴呆が発症していたらしく、市内の精神科のある病院に入院していて、父がしばしば見舞いに行ったりしていたこともわかった。
父の愛人関係を、私が最初に知ったのはもう30年ほども昔のことだが、ふたりの関係はなおも続いていたのだった。女には身寄りがほとんどなく、病院では見舞い客もなくて、訪ねてくる父の顔だけが女が唯一認識できる顔だったらしい。
そして、父が先に死に、遺言状だけが残された。

その遺言状を見ていちばん驚いたのは私の妹だった。
遺言状の宛名が父ではなくて妹の名前になっていたのだ。たどたどしい文字ではあったが、遺産のすべてを私の妹に譲渡するということだけは、分かりやすい文ではっきりと書かれてあった。
当初、妹は戸惑っていた。
父と女とのことで一番苦しめられたのは私かもしれない、と妹は言った。
けれども、会ったこともない女から、それも幾度となく憎んだりもした女から、そんな曖昧なものを受取る筋合いはなく、そうなった経緯を、ぜひ父から聞いておきたかったと言って悔しがった。
おそらく父はその顛末を妻にも娘にも話すことはできなかっただろう。あるいは、今わの際にでも話そうと思っていたのだろうか。
だが、父にはその機会はなかった。

私は18歳で家をとび出したので、父とその女とのことはほとんど知らない。すべて私がいなくなってから起きたことであり、そのことに関しての噂は聞いても、詳しいことは知らなかった。
私よりも10歳年下の妹はずっと渦中にあった。
中学高校時代の過敏な年頃を、いつも夫婦のいさかいの中で過ごした。夜になると、店をしめて父はいなくなり、続いて母が舌打ちをしながらどこかへ出かけてしまう。やりきれない空気の中で妹はじっと耐えるしかなかったという。
そして、両親の晩年まで、いちばん近くで暮らしたのもこの妹だった。

何らかの形で娘にしてやれることがあれば、と父が考えたことがあったとしたら、それは娘に対する贖罪の気持ちもあったかもしれない。そんな父親の気持を忖度して、妹の考えが及ぶのもその程度の範囲であった。
それと同時に、女の先行きについても、何かしら父から託されたのではないかと、そんな曖昧さが、妹の気分を重くするのだった。身寄りもないということは、誰かが面倒をみなければならないかもしれなかった。
期待するほどの財産があろうなどとも考えられず、死んだあとに、身辺のがらくたなどを寄越されても、整理しきれないものが増えるばかりで、妹としては、ただ迷惑なだけの遺言状が託されたみたいだった。

父と女とでどんな話し合いがあったのか分からないが、何らかの形のものを、遺言状という形式で、自分らよりも若いひとりの人間に残したかったのだろうか。
そのことは、かなり重みのある決意だったかもしれない。遺言状というものの重みではなくて、それを書いたということに重みがあったのだ。
遺言状にも時効というものがあるのかどうかは知らない。けれども当初、その遺言状のまわりにあった重みのようなものは、この6年という歳月のあとでは、かなり軽いものになったようにもみえる。
そのことに関して何らかのトラブルがあったわけでもなく、いまでは妹も距離をおいて考えられるようになったという。
話題もさらりと流れる。
女はまだ生きてるのかねえ。
まだ、病院にいるみたいよ。
不思議なことだが、女が生きているということで、遺言状にまつわる話題も淡白になり、女との縁も遠くなりつつある。

6年前のその朝、いつもより父がよく寝入っているので、そんな朝はそれまでも幾度もあったことだろうが、いつものように母が起こそうとすると、すでに父の反応はなかった。
心臓が突然止まったらしい。死亡推定時刻は夜中の1時頃だろうとのことだったが、ひとつの寝具にいつもふたりで寝ていながら、母は朝まで父が死んだことに気づかなかった。それほど静かな死だった。
その日は地域振興券をもらいに出かけるため、父は前夜、きれいに髭を剃って寝たという。出かける準備は万全だった。
父の遺言状はない。
さよならという父の最後の言葉を聞いた者も、だれもいない。




(写真は郷里で見たひな祭りの特別展示。「曲水の宴」という風流な題がついていた。)

(2005/03)



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