・吾もまた紅・


学生の頃、東京ではじめて下宿した家の、ぼくの部屋には鍵がありませんでした。
ですから、ときどき2歳になるゲンちゃんという男の子が、いきなりドアを開けて飛び込んでくるのです。
そのたびに、気配を察した奥さんが慌ててゲンちゃんを連れ戻しにくるのですが、そのときに、いつも何気ないひと言を残していきました。
「玄関のお花、ワレモコウっていうのよ」
ぼくの部屋は玄関のすぐ隣りにあったので、ドアを開けると下駄箱の上の花が正面に見えました。
花にあまり関心がなかったぼくには、ワレモコウの花は花だか実だか曖昧な花でした。ぼくが気のない相槌を打つと、
「吾もまた紅(くれない)って書くのよ。すてきな名前でしょう」と奥さん。
そのときなぜか、その花の凛とした文学的な名前がまぶしかったのです。そのときから、ワレモコウは忘れられない花の名前になりました。

奥さんは詩を書く人でした。仲間で同人雑誌を発行していて、ぼくも誘われていたのですが、気後れがして加わることができませんでした。
たまたま奥さんから借りた村野四郎の『体操詩集』という詩集を読んだりしていたのですが、ぼくには詩というものがよく解らなかったのです。
詩というものを書く人たちは言葉の曖昧な領域にいて、吾も紅、吾も紅と、それぞれが紅い個性で咲いているようでした。ワレモコウという花に感じたまぶしさは、詩というもの、詩人というものへの近づき難いまぶしさでもありました。
吾も紅、と集まっている人たちの中へ入っていっても、ぼくはとても紅には染まれないと思いました。吾は紅などと言える自信も情熱もなかったのです。

ずっと後に、信州へ家族旅行した時に、蓼科高原で懐かしい花に再会しました。ワレモコウが野草のように何気なく咲いていたのです。懐かしい人に会ったようでした。
詩というものを忘れていた長い年月がいっきに縮んで、吾もまた紅などと、おもわず口をついて出てくる言葉が詩になっているような気分でした。
ぼくにも詩が書けるかもしれないと思いました。

それからまた、詩を忘れたかなりの年月が過ぎて、再びワレモコウのことを思い出しました。
花のような実のような、よくわからない曖昧な言葉の領域を手探りしながら、ぼくは詩のようなものを書き始めていたのです。熱く燃えたい、紅になりたい、という欲求は消えていなかったのです。
吾もまた紅になれるかもしれない。詩を書くということは、大いなる妄想に似ています。





(写真はワレモコウ。)

(2005/11)

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