・冬眠・


「カメさん、どこ行ったんやろ?」
「冬眠したんやろな」
「トウミンって?」
「寒うなったから、ネンネしたんや」
「ふうん、カメさんて、寒いとネンネするん?」
「そうや」
「変なカメ」
そうか、カメは変な奴だったか。
つい、この前まで、ため池の水面にはカメがいっぱい浮いていた。クマゼミが賑やかに騒いでいた頃だ。私はほとんど毎日、このため池の周りを歩いているから、カメたちがネンネしてしまうまでの季節の移ろいを見てきた。
クマゼミからツクツクボーシへと、喧騒の夏はトーンダウンしていく。いつしかセミたちの木々には静寂が残され、足元の草むらに澄んだ虫の声が立ち始めると、ため池の水面をひんやりとした秋風が走りすぎる。
ある日、紅葉した桜の葉っぱがカメの頭をかすめて落ちた。カメは思わず頭を引っ込めようとして身ぶるいする。
だんだん食欲がなくなってきたみたい。
体が妙に気だるいし、背中の甲羅も重い。
もう水を掻くのもおっくうだよう。
やがて、水面に落ちた枯葉と一緒に、カメは一匹ずつため池の底に沈んでいく。中には寝つきの悪いカメもいて、いつまでも水面で頑張っていたが、ついには、その宵っ張りカメもおやすみとなる。
カメは水温が20℃を切ると食欲が落ちる。そうして少しずつ腸を空にしていく。やがて水温が10℃以下になると冬眠に入る。カメの冬眠行動は水温に支配されているのだ。だから、飼育されているカメは、水温が下がらないように、保温管理をすると冬眠をしない。幼いカメなどを無理に冬眠させると、そのまま死んでしまうこともあるらしいから、冬眠というのは危険な選択でもあるのかもしれない。
池の底で石ころのようになって眠っている、無数のカメの姿を、私は想像する。甲羅には少しずつ泥がかぶさっていく。池の底もカメも見分けがつかなくなる頃、カメは深い眠りの中にある。まさに、泥のように眠る、のだ。
人も、ときに深く眠りたいと思うことがある。
現代人は浅く短い眠りが習慣となり、いつのまにか本当の眠りを忘れてしまっているように思う。厳しくつらい冬の季節を生きるよりも、思い切って冬眠が出来たら、心身ともにリフレッシュできて、新しい人生の展開もあるかもしれない。だが、人間はカメにはなれない。
カメは眠っている間に、秋からいきなり春を迎える。
水温が上り体が温められると、徐々に生命の感覚が戻ってくる。
目覚めたカメは、甲羅に積もった泥を振り払いながら、ゆっくり水面に浮き上がっていく。頭上に少しずつ明るい世界が下りてくる。そして、突如、水面の幕が裂けて青空がひろがる。
それは、どんな朝だろうか。
折りしも、散ってきた桜の花びらが、カメの濡れたねぼけ顔に貼りつく。
「おお、チメた(冷たい)」
カメは厳しい冬の季節を知らない。
そうやって、カメは万年生きるんや。




(写真は渡り鳥のカモ。カメに代わってため池の水面を賑わしている。)

(2003/11)



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