・ちいさな天才のことば・


3歳の頃、人は誰でも天才になれるという。
私の孫娘も、ときどき天才ではないかと思わせる。
そうみてしまう私は、世間並みの、親バカの親バカであることを証明しているようなものであろう。
彼女は、このところ流行った「なんでだろう」という言葉を、日常の会話の中で実にタイミングよく使うことがある。また時には、片手を頬の横で、何かをつまむような仕草をしながら「サンペイです」とやってみせる。そんな時、テレビの中のコメディアンの雰囲気をぴったり掴んでいる。
私がまねをして、同じように「サンペイです」とやっても、言葉のイントネーションの微妙な違いを、即座に厳しく訂正されてしまう。言葉に対してというか、言葉のニュアンスに対して、実にシビアなのである。
それでいて、こちらの話すことが時々解らなくなって、いきなり天才の化けの皮がはがれてしまう。そうなると、どのように説明してもなかなか通じない。
結局、こちらは自分が言った何気ない言葉を、ああでもないこうでもないと、少しずつ分解していかなければならなくなる。時には私の語彙不足もあって、説明不可能な状態にまでさせられてしまう。
そんな時、私が普段からもっている言葉に対する不信感が、またもや頭をもたげてくる。大人同士の会話でも、はたして言葉は正確に伝わっているのだろうか、と考えさせられてしまうのだ。
もともと言葉は記号にすぎないのだから、あいまいなものであることは仕方ないと思う。だが、3歳の天才が使う言葉には魂が宿っているように思わされてしまう。あいまいなものが、あいまいなままで宿っているのだ。
天才は何を考えているのか。新幹線に乗ってヒデばあちゃんに会いにいこう、と言っては、年寄りの病状を気にしている私の妻を誘惑したりする。
彼女としては、ただ新幹線に乗りたいだけなのかもしれないが、闘病中のヒデばあちゃんを持ち出して勧誘するところが、天才の匂いがして小憎らしい。まちがっても私を誘うことはないから、さらに小憎らしい。
昨年の夏にインプットされた「ヒデばあちゃん」という言葉が、何かの折に彼女の口から飛び出してくるのは、よほど初対面の印象が強かったのだろうか。
その時の情景が、小さな頭の中にどんな形でしまわれているのか、そのあたりの仕組みについては、いかに天才といえども説明することはできないだろうが、われわれ大人が推測してみるに、やはり普通の状態ではない人に会ったという、驚きに似た衝撃があったのかもしれない。
88歳の病人は、体こそ大きかったが、言葉はひと言も発することができなかったのである。
その後、病人が言葉を取り戻しつつあるのかどうか、詳しいことはわからないが、東京で生活している孫が、毎週夫婦で病院に通っているらしい。そちらも、かつて天才と思いながら可愛がられた孫と祖母の間柄である。病院でのいい関係が続いているようである。
最近、妻はその甥のヨメさんと毎週メールの交換をして、気になる病人の情報を獲得している。
12月に入って、理学療法、作業療法、言語療法という3種類の本格的なリハビリがスタートしました…パソコンを開けるとメールが入っている。
ヒデばあちゃんには、俳句の趣味があった。
「禁煙やさわやかに住み若楓」
倒れる2か月前に、新婚の孫のマンションを訪ねた時のことを読んだ句である。そんなこともあって、夫婦は言葉のリハビリになればと、病室で『奥の細道』を読んで聞かせることにしたらしい。
「草の戸も住替る代ぞひなの家」
この発句を残して芭蕉は、深川の庵をあとにして旅立ちました。今日は草加から日光までの旅です…とメール。
次の週は、松島、平泉、立石寺。
さらに次の週は象潟から越後。さらに金沢へと速いペースの旅である。
芭蕉の旅が駈足になろうが、病人はただ聞いているだけだから、息を切らすこともないだろう。ただ、病人が俳聖とどのような旅をしているのかは、今日は少し眠そうでした…というメールの文面から推量するだけである。
『奥の細道』を終えた後、今は病院の言語療法の内容に合わせて四字熟語に挑戦しているらしい。挑戦といっても、病人にどれだけの気力と体力があるかは難しいところである。隠れてしまった言葉はなかなか顔を出してはくれず、旅に病んでいる人の容態は、それこそ一進一退のようである。
閑話休題。そんな病人のことや四字熟語のことなどを話題にしていた折、回りの言葉に触発されたのか、例の天才が突然「じじばば」という四字熟語を発したのである。
一瞬、まわりの者はびっくりして、おお天才、と叫んでしまった。なかなか大したものだと感心したのだが、冷静によく考えてみると、これは二字熟語かもしれないのだった。
それでも、天才が発すれば、やはり四字熟語に聞こえてしまうから、こちらは、とうとう耳までが、バカのバカになってしまったのかもしれない。




(写真は冬の空に桜の裸木。細い枝には蕾がしっかりついている。)

(2004/01)



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