・七夕・


今日は七夕だ。
記憶の遠いところで短冊がゆれている。
子どもの頃は願い事がたくさんあった。願い事をひとつひとつ短冊に書いて笹にくくりつける。折り紙を加工したものなども美しく飾り付けて、それが七夕の遊びでもあり行事でもあった。
子どもの願い事は、身近な日常のことから遠い将来のことまで、数限りなくあったような気がする。短冊の数だけ願い事があったのだ。

七夕の笹飾りは、七夕の夜ひと晩だけ軒先において、翌朝はやく、近くの川へ流しに行く。釣りをしたり泳いだりする日常の川が、そのまま天の川に通じていると信じられていたにちがいない。
まだ大気が澄んでいた頃、夜空には天の川がくっきりと流れていて、神話の世界がじゅうぶん信じられるほどに美しかったのだ。
七夕の願い事の短冊が、どのくらいの日数がかかって天の川に流れ着くのか、そんなことは誰も考えなかったが、神様が短冊を拾いあげる頃には、もう願い事のことなど忘れてしまっているのだった。

おとなになっても、あいかわらず人は、いつも新しい何かを願いながら生きているのだ。
小さな願いから大きな願いまでさまざまあって、喜びや失望を繰り返しながら生きているのだろう。
年をとるにつれ、願い事はだんだん少なくなって、身近で現実的なことばかりになってくる。願い事を引き寄せることができる自分の力がわかってくるから、もう、とてつもなく大きなものは望めなくなる。
けれども、それでは淋しすぎるから、小さな欲と夢は持ち続けることになって、その結果いくつになっても、煩悩から逃げることはできないのだ。
いっそ、七夕の日に願い事を短冊に書いて、そのまま運は天任せで、天の川に流してみてはどうだろうか。

いつのまにか忘れてしまった子どもの頃の大きな夢は、いまも天の川を漂っているのだろうか、とか考えてみる。
もう久しく、天の川を見ていないから確かめることもできない。




(写真は、栃の木の葉っぱから梅雨の晴れ間のこもれびです。)

(2005/07)



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