・ヒトは進化しているのだろうか・


ケータイ電話の人口普及率は、今年4月末にほぼ65%に達したらしい。街を歩いているほとんどの人の、上着のポケットやバッグにケータイが入っていると思って間違いない。残りの少数派の中で甘んじている私が、ここでケータイのことに言及するのはおこがましいことかもしれないが、持たざる者のひがみで、何かと茶々を入れてみたくなるのである。
特に、身近にいる妻が、ケータイを快適そうに使用しているのを見ていると、尚更ひがみ心が顔を出してくる。
人の手の平におさまる、その小憎らしい形状は、まるで1個の人格を持っているように見えることがある。私は横目で妻のケータイを見やりながら、なんだそんなにチビのくせに、などと、ときにシット心をかきたてられる。
妻はケータイを持ったことによって、離れて暮している息子との距離が近くなったと言って喜んでいる。以前はたまに電話をしても、アーとかウーとか曖昧な返事ばかりで、さっぱり愛想がないと言ってぼやいていたものだ。
それが、ケータイでメールを送るようになってからは、大概、送信するとすぐに返事のメールが帰ってくるようになった。まるで送信よりも先に返信が来るかのごとく、ケータイの着信音がすばやく反応する。すると、妻は返事が速いということに感動するのである。それは会話の呼吸に近い速度であり、何らかのしっかりした手応えが感じられるのであろう。その分、距離は近くなったのである。
それはそれで、ありがたいことだと思っている。妻のストレスが減れば、私も平穏な気持が保てる。1日3食を世話になっている食客(いそうろう)の身ともなると、同居者への気苦労は大変なものなのである。
だが、そっと妻のケータイをのぞいてみると、息子の返事は速いだけあって、文面も短い。大そう簡潔だとも言えるかもしれない。だが、内容は以前のアーウーとあまり変わらないように、私にはみえる。
ケータイ電話の進化のスピードは、普及率の速さと同じように、めざましいものがあるようだ。デジカメの機能を取り込み、テレビやラジオを取り込み、いまやパソコンの機能まで取り込む勢いである。
ブロードバンドケータイというキャッチコピーで、土曜日の新聞の全面広告となってご登場だ。ケータイの小さな窓に、インターネットの画面が取り込まれようとしている。小さなケータイの電波が、世界中のWeb(クモの巣)に繋がるのだ。親指でダイヤルボタンを操作しながら、クモの糸をたぐり寄せて、いろいろな情報の獲物を捕らえることができるようになったのである。
私のシット心はますます煽られてしまいそうだ。若々しいケータイの舅か姑になったごとく、私はつい憎まれ口をたたいてしまう。新幹線やリニヤカーのように、速いということはいいことなのか。バーゲンセールの山のように、情報が沢山あるということは素晴らしいことなのか。
それにしても、私の比喩はいかにも古臭い気がして、自らをみじめな立場に追い込んでいるようにみえる。年をとった者は、なにも急いで墓穴を掘ることはないのだ。
とにかくテクノロジーは進化していると認めよう。マルチに機能を備えているということは、やはり技術的には素晴らしいことなのだろう。その結果がどうなろうと知ったことではない。
マニュアルはぶ厚くなり、ひとつのボタンが受持つ機能は増えるだろう。映像や文字は氾濫し、そのうち、情報の洪水に目を回すことになるだろう。使いこなそうとすれば生活は忙しくなるだろう。スローライフの掛け声はどこへやらだ。
だが、これは自然の成り行きなのかもしれない。人は常に情報(うわさ話)を求める習性があるようだ。古くは井戸端会議であり、長電話であり、メールであり、最近はチャットなどと言って新しがっている。
猿が毛づくろいをするように、人はおしゃべり(チャット)をする。言葉は「音声による毛づくろい」であると、ロビン・ダンバーというイギリスの人類学者は『ことばの起源』という本の中で述べている。
猿がしきりに毛づくろいをするのは、お互いに友情と忠誠を示し合っているのだが、その行為によって、脳内にアヘン剤(ホルモンに似た麻酔物質)が生成される効果もあるらしい。毛づくろいをされる猿は、麻酔をかけられたように心地よくなり、そのまま眠ってしまうこともあるという。言葉にも同じような効能があるのだ。
何万年もの昔、ヒトも猿のように毛づくろいをして慰めあっていたらしい。長い進化の過程で、ヒトは毛づくろいの行為を言葉というシグナルに変えていったらしいが、今もなお、類人猿の習性は失われていないのかもしれない。
いまや最新のテクノロジーを操作する人間であるが、ケータイの小さな画面を見つめながら、背中を丸めて指を忙しげに動かしている格好は、毛づくろいをする猿に似ているようにもみえる。




(写真は林の中、冬の日脚は速く、木々の影が長く伸びている。)

(2003/12)



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