・天平の青い空・


立秋の7日、日本列島を猛烈な風が吹き荒れました。
北海道佐呂間町では竜巻が発生。倒壊した建物の下敷きになって9人の命が奪われました。国内での竜巻被害としては最悪だとみられています。
「直前まで晴天だったが、突然激しい雨と強い風に見舞われ、雷が鳴ると同時に空が真っ暗になった」という目撃者の情報が新聞に載っていました。まさに青天の霹靂。恐ろしいことです。

同じ日に、近畿地方では木枯らし1号が吹いたと気象台の発表がありました。日本海側の鳥取県の大山では初冠雪が観測され、強風と寒気とで、いきなり冬がやってきた1日でした。
そして、嵐の翌日は穏やかな小春日和。空の雲も吹き飛ばされてしまったのか、きれいに掃除したように澄みきった真っ青な空です。
そんな空の深さに誘われて、1250年の時空を越えてみました。奈良では、天平のロマン・正倉院展が開かれていたのです。

奈良国立博物館はいっぱいの人です。
全長15メートルという巻子(かんす)の国家珍宝帳。全幅公開は圧巻でした。亡くなった聖武天皇を偲んで、光明皇后が東大寺に納めたという、600点あまりの宝物が書き記されたものです。紙は白麻紙(はくまし)という紙だそうで、1枚の紙の幅は約26センチ、長さは約88センチ。その紙を18張つないだものに、品目、員数、法量、形状、特徴、材質、附属品、さらにはその由緒までが、端正な筆致で墨書されています。
これだけのものを書くには、どれほどの筆の達人がいて、どれだけの日数がかかったものだろうかと、下世話なことを考えてしまいます。

珍宝帳に羅列された漢字を目で追いながら、品目の部分は展示品との照合で推量してみるが、巻頭や巻末の漢文の部分はぼくには読めません。
解説によると、
「これらはすべて、先代の帝が好きだった珍しいものや、国の役人が献上した物です。わたしは、これらを目にすると昔が思い出されて泣き崩れてしまいます」といった内容の、光明皇后の思いも記されているそうです。
「昔」だとか「觸目崩摧」だとかの漢字を拾いながら、これだけの漢字に、それほどの思いが込められているのかと感心しながら、昔の高貴な人の心も現代の我々と同じなんだなあと、その時代や人の心に、すこし近づけたような気がしました。

聖武天皇は東大寺の大仏を建立することによって、仏教による国家の鎮護を願ったのでした。恭仁京(京都)、紫香楽(滋賀)、難波宮(大阪)、平城京(奈良)と、5年間に4回も遷都を行ったほど、当時の世の中は戦乱や疫病、大地震や飢饉などと、とても平穏な時代ではなかったのです。
聖武天皇は756年に崩御しますが、その後も騒乱の世は続きます。
今回出展されている68点の中には、武器や馬具などもありますが、764年の恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱には、太刀88口、弓103張、甲(かぶと)100領、靫(うつぼ=矢を納める筒)3具、胡禄(矢を納める具)96具などを出蔵したと記録があり、そのほとんどは戻らなかったそうです。

794年には都が奈良から京都(平安京)に移ります。
1180年(治承4年)には、平氏によって東大寺大仏殿が焼き討ちにあい、奈良の空を黒雲が覆うことになります。同じ年、『方丈記』には、京の町の辻風(竜巻)のすさまじい様が書かれています。
「家のうちの資財 数を尽くして空にあり 檜皮葺板のたぐひ 冬の木の葉の風に乱るるがごとし 塵を煙のごとく吹き立てたれば すべて目も見えず おびただしく鳴りよどむほどに もの言ふ声も聞こえず かの地獄の業の風なりとも かばかりにこそはとぞおぼゆる 」。

ちなみに、わが国における竜巻の最古の記録は、1147年(久安3年)7月21日のもので、雲から獣の尾っぽのようなものが、降りたり昇ったりして、寺の池に潜む竜が天に昇ったと言われたそうですね。
煌びやかな宝物の数々を目にしながらも、戦乱の世の吹き荒れる辻風の影がよぎるのは、嵐のあとの昨日の今日だからでしょうか。

天平の夢のそとへ出ると、奈良の空には青空の他には何もありません。家が舞い上がったり、竜が昇ったりすることもない、平穏な古都の空です。
奈良公園の木々の間に見え隠れする鹿も、ひっそりと古色を帯びています。11月は鹿の発情期だそうで、笛のような細くて鋭い牡鹿の鳴声だけが、時を超えて高い空へと昇ってゆくようでした。




(写真は奈良国立博物館。)

(2006/11)



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