・桜とピアノ・


今年も桜が咲いた。
いつものことながら、花が咲くまでの期間、何かしらすばらしいことが起きるような期待をしてしまう。そして、花が咲いてみると、期待していたものがこれだけのものだったのかという、一抹の空しさも、満開の花の影に潜んでいるようにみえる。
桜は満開だよ、きれいだよ、それでどうしたの、といった感じなのである。あくまでも桜に感情などあろうはずもなく、花に何かを期待しようとも、それはこちらの勝手ということになる。
花との間には、片想いに似た、侘しくてやるせない情感のやりとりがあるようだ。

桜の花を見ると、小学校を思い出すのは私だけだろうか。
私はいつも野球帽しか被らなかったが、友達が学帽の徽章を買いに行くというので、文房具屋までついていったことがある。新品の徽章には、中心に小学校の小という字が入っていて、五弁の桜の花びらがきらきらと光っていた。
小学校の広い校庭の周りには、間隔を置いて桜の木が植わっていた。他の木もあったかもしれないが、憶えているのは桜の木だけだ。
そのうちの幾本かは、今でも脳裏に残っている。
いつも三塁ベースの代わりになる桜の老木があった。出塁のあいだ、ベースを足で踏むのではなく、桜の木に手で触っているのだ。そのときの桜の木肌のざらざらした感触がいまだに手に残っているような気がする。
そんなことのせいだろうか。桜の連想がともすれば小学校に帰っていくのは。
だが、そんな小学校も今はない。そっくり町外れに移転したらしいから、2階建ての古い木造校舎も校庭も、今では記憶の中で訪ねるしかない。
小学校は便所が別棟になっていたので、教室と便所が渡り廊下でつながっていた。細長いすのこの上を、かたかた音を立てながら便所に走っていく。
あの渡り廊下が今でも夢に出てくるのはなぜだろうかと思う。
便所は薄暗くて、ひとりで行くのは淋しい所だったのだろう。小学校の渡り廊下が出てくる夢は、いつもおさびし色の夢だ。

小学校にピアノという楽器が入ったのは、私が6年生の時だった。ピアノは広い講堂に置いてあった。
それまではオルガンしかなかった。いろいろな形をしたオルガンが、ところどころの教室の隅に置いてあった。
ときどき、いたずらをして弾いてみるのだが、足踏みペダルの板は重く、鍵盤も音が出ないこともあり、楽器というよりは足踏み脱穀機と取り組んでいるみたいだった。
そういえば、オルガンの音は牛や蛙の鳴き声に似ていた。
ピアノの音はよく響いた。音楽のイメージが変わった。
音楽の先生はふたりいた。
どちらも女の先生だったが、若い方の先生はしんまい(新参)の先生で、ピアノがあまり得意ではないみたいで、放課後の講堂で、もうひとりの先生に指導してもらっていた。
ピアノをよく弾ける方の先生は美人で快活だった。
私もその頃には、ひそかに好きな女子生徒がいたりして、異性の可愛らしさとか美しさとかについての、好奇心が芽ばえ始めていたので、この先生を美人の範疇に入れていた。
ピアノがすらすらと弾けるということは、それだけでも美しい姿にみえたにちがいない。オルガンの鈍重な音に比べて、ピアノの音は明るくて力があり、何か新しいピアノの響きとイメージが、先生の美しさの背景にあったと思う。
3年生から6年生までの4年間、ずっと男の担任だったので、音楽の時間だけでも女の先生になるのが嬉しかった。
ピアノ先生は、授業中にとつぜん役者のような口調になって、方言で民話を語りはじめたりすることがあった。生徒の前で、感情をこめて堂々と方言をしゃべる先生の開放的な態度に、生徒はすっかり圧倒されてしまった。こんな授業は初めてだったし、こんな女の先生も初めてだった。
ピアノ先生の衝撃は大きかった。
ある日、しんまい先生の音楽の授業中に、ピアノ先生がとつぜん教室に飛び込んできた。
ピアノの弾き方が間違っていると言って、しんまい先生を激しく叱りつけた。その時のピアノ先生の叱り方は尋常ではなかった。授業中にとつぜん役者になったあの激しさだった。生徒は自分たちも一緒に叱られているかのように、教室の中は静まり返ってしまった。
それに先生が先生に叱られるなどという光景を、生徒ははじめてみたのだった。ピアノ先生は美人だけど、恐い先生だと思った。

小学校のピアノにまつわる思い出はそれだけである。どんな歌の授業があったのか、そちらの記憶は皆目ない。
小学校時代のいくつかの記憶の中から、そのことだけが今よみがえってきたのは、どこかで桜とつながっていたのだろうか。
しんまい先生が、慣れないピアノをたどたどしく弾いていた。そんな、まだ新学期のことだったのかもしれない。そうだとすれば、校庭の桜も咲いていたにちがいない。




(写真は今年の桜。4月3日に写したものです。)

(2004/04)

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