・大晦日はたわごとで精算・


おおつごもり、なんとなくそんな言葉をつぶやいてみたくなる大みそかである。
大阪ではめずらしく朝から雪が降り、一面まっ白な銀世界になった。このようにして、この1年をリセットしようとしている、そんな神様がどこかにいるのかもしれないなどと、正月の飾りつけをしたりしていると、すこしだけ神様というものを身近に感じた発想をしてしまう。
1年の最後の日ともなると、まがりなりにも、1年という区切りをつけて、そこからまた、新しい気持と覚悟をもって、新鮮な1年が始まるような気がするけれど、やはり人の生活は、のんべんだらりと今日から明日へ続くのであって、どんな気分や覚悟も、大みそか1日かぎりの淡雪みたいなものなのだろう。
それでもなお、大みそかのどんづまりまで追いつめられて、ふと振り返っては1年を反省し、無念なことも沢山あるけれど、とりあえず今日までは今日で精算といった、都合のいい区切りをつけてみたりしながら、百八つの除夜の鐘を聞くまでは、捨てきれない煩悩に振り回されてしまうのである。

イラクやパレスチナでは、相変わらず戦争がやまず人々が死につづけている。世界のどこかで、常に硝煙くさい炎が燃えあがっている。国内では、強盗や誘拐といった悲惨な事件があとをたたず、最近ではむしろ増え続けているようにもみえる。
異常気象や大気汚染、さらには自然災害が目立った1年でもあった。日本列島はいたるところで揺れ続け、新潟県では大きな地震が発生し、ひとつの村が壊滅したところもある。
この年末にインド洋を襲った大津波は、5万人以上もの死者を出すという想像を絶する大惨事である。
われわれ人間はいつ、どのような大津波に襲われるかわからない、じつに弱い生き物であることを実感させられたばかりだ。

それでありながら、ふたたびわが身を振り返ってみると、今日だけをなんとか生きようという、なんともせこい生き方しかできないのである。
窓ガラスを磨き、換気扇の油汚れをふき取ったりして、身の回りをすこしだけ小奇麗にして、年賀はがき1枚で世のしがらみをつくろった気分になって安堵している。
普段とすこしちがった体の使い方をして腰が痛くなり、さてと、新聞のテレビ欄に目を通してみるが、結局、今夜もレコード大賞と紅白でおざなりに、1年を蛍の光で締めくくってしまうことになるのだろう、などと、忸怩(じくじ)たる思いがないでもない。
そうやっていつも楽な方へ流されて1年は終り、いつもどおり、今日につづく明日が始まってしまう。

だらだらとこんな下らない文章を書いたりしているのも、考えてみれば、このところさぼりがちな当ページの更新を、今年最後の日になって、なんとか辻褄あわせをしようとしているだけなのかもしれない。
こんな駄文を読まされる身になれば、はなはだ迷惑なことだろうが、こんなかたちでしか1年の総括ができない、この無様さこそ、私のこの1年であったといえるかもしれない。
きりがないので、このへんで筆を置くことにしよう。いや、キーボードから指を離すことにしよう。
運悪く、このページを覗いてしまった方には、せめて、良い年が迎えられますよう祈っております。




*1月17日現在、スマトラ島沖の巨大地震と津波で死亡した人は16万人を超え、100万人以上が避難生活をしているという。
(写真は、大みそかに降っためずらしい大阪の初雪。)

(2004/12/31)



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