・お水取り・


寒い冬が長く続いたあとに、古都の暗がりの一隅で、突然勢いよく燃え上がった大松明の炎が中空の闇を走り抜ける。
冬から春への華麗な儀式が、奈良東大寺の二月堂で、3月始めの14日間つづけられます。752年の大仏開眼から一度も欠かさずに行われてきたという修二会(しゅにえ)の行です。

ちょうど阪神大震災のあった年のことでした。二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった格好で、飛び散る大松明の炎をまじかで体感することができたのです。まさに、お水取りの舞台上での観覧だったのでした。
気がつくと眼下の境内のあちこちに点灯された照明が、二月堂をまぶしく照らしはじめています。その頃には、明かりの海と化した奈良盆地から、この東の斜面に向けてしんしんと冷気が這いあがってきます。欄干から下をのぞいてみると、境内はいつのまにか人でいっぱいでした。
ちょうど7時に鐘が鳴らされると、境内の照明がすべて消され、辺りは急に静かな夜に戻されます。芝居の拍子木のように鐘が打ち鳴らされ、これから始まる儀式への予感と期待を昂めていきます。
視界の右手下方の一角が明るくなりました。大松明が勢いよく燃えながら、登廊54段の階段を上がってくるところです。大きな炎の固まりは階段の途中で止まっているようにも見え、動いているようにも見え、逡巡する何か大きな生き物のようです。
大松明は上堂する11人の練行衆(修二会に参籠する僧)の道明かりで、それぞれの大松明に錬行衆がひとりずつついて登るそうです。
やがて階段を上りきった大松明は、本堂の舞台に勢いよく登場し、童子(松明を運ぶ人)は長くて太い真竹の柄を欄干で支えるようにして、燃えさかる炎を中空の闇へ突き出します。どっと沸き立つ歓声。つづいて太い真竹の柄を抱えるようにしてぐるぐると回すと、四方八方に飛び散る火の粉を浴びた観衆の、さらに大きな歓声が沸きあがってきます。
背後の本殿からは鉦の音と声明が聞こえてきます。内陣は薄暗く、白麻の帳を透して見えるのは灯明の明かりだけです。不思議な想像力がかき立てられ、あたり一面が神秘な雰囲気に包まれてしまいます。

10メートルほどもある大松明が目の前を走り抜けていく時、辺りが燃えあがるように明るく熱くなります。燃える杉の葉のはじける音と香ばしいにおいが舞い上がり、舞台の板敷きでは飛び散った火の粉が燃えています。それを東大寺の法被を着た雑司が箒で掃いて消していきます。
回廊の左の角の大松明が燃え尽きる頃、右の角の大松明を抱えた童子が次の大松明が上がってきたことを合図します。左の大松明は最後の火の粉を振り払って脇へと下がり、今度は右の角の大松明が、目の前を火の粉を散らしながら勢いよく走り抜けていきます。
内陣からは、練行衆たちが駆け回って床を踏みならす木沓の音がせわしなく聞こえてくる。このとき二月堂は、命のあるもののように大きく揺れ動いているのでした。

14日間の修二会の本行の期間中、5日目と12日目には過去帳が読み上げられるそうです。わが国最古の過去帳です。
聖武天皇を筆頭に、光明皇后、行基菩薩、大仏開眼導師、東大寺に功のあった鋳物師から大工にいたるまで。さらには空海や源頼朝の名も奉読されるそうです。
いずれも東大寺にゆかりの人たちの名ばかりですが、その中で、あるとき行の最中に、「など我が名をば過去帳には読み落としたるぞ」と突如たち現れたという青い衣を着た女人の挿話は、修二会という行に幻想的な色合いを添えています。その着衣の色をみて僧がとっさに「青衣(しょうえ)の女人」と読み上げると、女人はそのままかき消えたということです。連日の行で疲労した僧の幻覚だったのかもしれないともいわれています。

10本の大松明が燃え尽きて炎の儀式が終り、二月堂にもとの夜が戻ってくると、人々の影が引いてゆくのは早いです。そのあとも薄暗い内陣では本行が続けられています。帳を透して、白く燃えている灯明の前をときどき黒い影が横切り、床を踏みならす木沓の音も続いています。千数百年前と同じ儀式がそこでは行われているのでしょう。平重衡の南都焼き討ちのあとも、戦国時代に大仏殿が焼け落ちたあとも、儀式は途切れることなく引き継がれてきたのです。

一般的に親しまれているお水取りの呼称は、本行の12日目に、二月堂下の若狭井に水を汲みに下りることからきており、この水をお香水といい、内陣まで運び上げられたお香水は特別な甕に納められるそうです。
お水取りが終わると、近畿には春が来るといわれています。




(写真は、欄干の外に突き出された大たいまつの炎。)

(2006/03)



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