・夏に攻め込まれて・


もう何も書けないかもしれない、という思いが日々に強くなる。
これは夏の暑さにやられてしまったということなのだろうか。単なる身体的な疲労なのだろうか。それとも、思考力や感性まで弱ってしまったのだろうか。
詩や文章を書こうとしても、出てくる言葉が切れ切れで、滑らかにつながってくれない。そこで、もうひとふんばりができない。集中力も忍耐力もなく、出てくるものは汗ばかりである。
連日の30℃を越える猛暑、おまけにクマゼミとアブラゼミの攻撃的な騒ぎ、こうなれば、セミの鳴き声も騒音にしか聞こえない。灼熱と騒音で、まわりからじわじわと攻められて、しっかりと夏色に塗り込められてしまったように、もう身動きもできない閉塞感に襲われてしまう。

やはり、こんな夏はプールか海で泳いでいるのが一番なのだろう。頭を空っぽにして、魚のように水色に染まっていることができれば、夏もまんざら悪くもなく、暑さなんか忘れてしまうにちがいない。だが、避暑などできる身分ではないから、じっと暑さに耐えるしか方策がない。
しょせん、夏の暑さに太刀打ちなどできるものではない、などと、すっかり弱気になってしまった。暑い、暑いと愚痴ばかりが多くなる。なにもかもが投げやりになっている。だから、何かを書こうとしても言葉はありきたりで、思考力も想像力もすこしも深みへ入っていくことができない。
憎らしいセミまでがうらやましくなって、こうなったら一日も早く、セミのように夏の殻を脱ぎ捨ててしまいたいと考えたりする。身がるになりたいと思う。そんな日々が続く。

今朝、目がさめたとき、いつもの朝と違う感じがした。
まわりに漠然とした広がりがある。広がりというより、隙間のようなものかもしれない。しばらくして、セミの鳴き声がしないことに気がついた。いつもより風もすこし涼しい。
昨日まで、早朝からすぐ耳のそばまで押し寄せていたセミの喧騒が、今朝は潮が引いたように静かになって、そのせいで、まわりの音の空間が広がったのだ。そのぶん、手足を自由に伸ばせるようになった気分がする。こんな感覚は久しぶりだ。
ひといき、ひといき、と思わず深呼吸をしたくなった。これですこしはリフレッシュできるかもしれない。

遠くでツクツクボーシも鳴いている。どこかで風穴を開けているような鳴き声だ。そこから秋風がしのび込んでいるにちがいない。ついでに、私の中にも風穴を開けてほしいものだ。
ツクツクボーシは、夏が過ぎ去るのを「ツクヅクオシイ」といって鳴くらしい。今年の夏も、ぼちぼち帰り支度を始めているのかもしれない。
すこし慌しくなった季節の気配のなかで、夏の置きみやげの私の症状は重症で、こんな雑文を書くのがやっとだ。やれ、やれ。




(写真は近所の遊歩道で。むくげだろうか、毎年、真夏に咲く花だ。)

(2004/8/13)



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