・光のほうへ・


きょうは冬至。
「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と、江戸時代の『暦便覧』という本にも書かれているそうですが、きょうは昼間がもっとも短い日なんですね。
こんな日があったから、12月はひたすらに光を求める気持ちが強かったのだろうか。明るさが日ごと少なくなってゆくのを、ひとは本能的に察知して光を求めるのかもしれません。
ぼくも京都の夜の街を歩き回ったり、流星群の光の放射を浴びたいと熱望したりして、光への欲求は次第に募っていくのですが、それにつれて闇の感覚も強まるばかりでした。1匹の虫になれば、それは自然の摂理でもあったのでしょう。

そして、ついに神戸へ。さまよえる冬の虫は、ルミナリエの溢れる光のなかへ。
今年は第12回目。ということは震災から12年がたったということでもあります。街も人も暗い闇の底で沈んでいた1995年の冬、とつぜん美しい光のオブジェが空に輝いたときを想像してみる。
その第1回の光のテーマは「夢と光」だったそうです。そのとき大勢の被災者のこころの中に、再生への夢の明かりが点されたにちがいありません。

あのとき、対岸から見た神戸の夜は暗かった。
神戸に比べると微々たるものだが、わが家でも震災の被害はあったのです。割れて失われた食器が不揃いのまま残っています。倒れたタンスの扉はひび割れたままだし、その他の家具もどこかに少しずつ傷を残したままです。
落下した棚の下敷きになって鳥かごも潰れました。どうやって助かったのか、ドアを開けると、チチチと鳴きながらインコが混沌の中から這い出してきたものです。小さな体には小さな命が宿っているのだとしたら、小さな命には生き延びる隙間がたくさんあったのかもしれません。

ことしのルミナリエのテーマは「空の魅惑」だそうです。アーティストからのメッセージは、
   「……風が、ときの流れとなって
    記憶と夢を重ねるとき
    魅惑の空が、
    あの日と私たちを
    つないでくれる。」。
12年という時が過ぎて、きのうと明日が、ひとびとの記憶と夢が、やっと光の中で穏やかに重なるようになったのかもしれない。
鎮魂の光を浴びながら、生きていることの歓びを実感する。ひと晩に20万〜30万の人々が光の回廊をくぐるそうです。

「きょうは太陽の誕生日」と、ラジオで気象予報士が言ってました。明日からはまた、すこしずつ昼間が長くなっていくらしい。
古代には、冬至が1年の始まりだったそうですね。この日から、すこしずつ明るさを増してゆく、まさに、新しい年の始まりにふさわしい日かもしれません。
ルミナリエでもらった沢山の美しい光を、ぼくもすこしずつ夢のエネルギーに変えていきたいと思っているところです。




(写真は神戸ルミナリエ。)

(2006/12)



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