・言葉はどこに隠れているのか・


娘のところに電話をしたら、3歳になる女の孫がいきなり電話口に出た。呼び出しのベルにとびついた様子が、そのまま元気のいい声で返ってきた。まるで年頃の女の子のように明るい笑い声まで含んでいて、感情をもろに開いた、ころころと転がるような可愛い声である。
つい、この前まで電話口では「はい」という返事しか出来なかったのに、同じ子供だとはどうしても思えなかった。いまや、電話の応答のみならず、日常の会話でも大人と対等なまでに成長しているのだ。
その孫が先日、母親(私の娘)の腕の肉をつまんで、突然、
「ヒデばあちゃんと同じ、ぽよんぽよんや」と言ったらしい。
88歳の年寄りと比べられたことで、娘は多少のショックを受けたようだが、その時の子供の言葉には、単なる肌の感触以外の意味合いも含んでいるように、母親には感じ取れたようだった。
ヒデばあちゃんというのは妻の母親であるが、今夏の初めに脳梗塞で倒れて、現在は関東の病院に入っている。急遽、上京した妻からの電話によると、MRI画像を見ると左の脳がすっかり白くなっているということだった。顔面から体全体にかけて右半分に麻痺が起きていた。
妻が付き添っていた3週間の間、食物は鼻から管で注入され、目を開けていてもどの程度の認識力があるのか、言葉を発することができないから、病人の心の内を読み取るのが難しかった。
医者は病人に認識力はないと言ったらしいが、それでも身内の者からみると、感情の動きは目の表情で推察できなくはなかったし、首を縦や横に振ることで何らかの反応を得ることも可能らしかった。また、病人もしきりに何かを伝えたがっているようにみえたという。
人は左脳にダメージを受けると、それまでに蓄積された言葉を一度に失ってしまうらしい。ハードディスクにセーブしたデータを、思わぬクラッシュによって消失してしまうようなものだろうか、などと想像してみるが、なんとももどかしい思いは残ってしまう。
人の脳は精密かつ複雑なもので、ただ右と左だけで簡単に分けて考えるのは無理があるような気もする。
日本語を読解する場合、漢字一字のみを理解するのは右脳で、熟語や文章になったものを理解するのは左脳らしい。芸術を解するのは右脳だといわれるが、ピアニストなどは演奏中、曲のテンポやピッチというものが大事なので、むしろ左脳が大いに活躍しているらしいし、羽生名人のような棋士は、理詰めの左脳で攻めていくのかと思えば、局面を無限に読み進んでいくのは右脳の働きらしい。
左脳が白くなって言葉を失っている人に、今の自分の状態を説明してもらうことは不可能である。
けれども、一時は死に向かっていると思われていた88歳の病人が、2か月たった今では、目にみえて回復に向かっているらしい。今は食物は胃に通した管から補給しているが、麻痺した半身のリハビリも少しずつ始め、表情もだいぶ豊かになってきたという。
更に最近では、「あのね」という言葉を言えるようになったらしい。何かを伝えようとして「あのね」と言うのだが、その後の言葉が出てこない。周りの者も、その続きの言葉を引き出せないまま、お互いにじれったい状態が続いているという。考えてみれば、「あのね」という言葉だけが唐突に出てきたというのも不思議な気がする。
先日、3歳の孫が母親と一緒に、新幹線に乗ってヒデばあちゃんの見舞いに行った。そこで孫は、ばあちゃんと握手をしたらしいが、その時のばあちゃんの手の感触を、後日、母親の腕に触れた時に思い出したのだろう。どちらもぽよんぽよんしていたのである。
3歳と88歳の、ひ孫とばあちゃんの初対面の握手は、お互いに無言であったろうが、そのとき孫は、ぽよんぽよん、という言葉の素を何か受取っていたのかもしれない。
今年の春に開設した私のホームページは、詩やエッセーを主にした、いわゆるテキスト系と呼ばれるものである。
当初はごく気軽に始めたのであるが、更新をするごとに新しい作品を書くということは、かなりしんどい作業であることが次第にわかってきた。とにかく、言葉を並べなければ作品は出来上がらないのである。
けれども、言葉はなかなか私の想いを代弁してくれない。めくってもめくっても、さがしているトランプ札はなかなか見つからないのである。まるで失語症になったように、私もまた言葉さがしで悪戦苦闘しているのである。
私の3歳の孫は、ついこの間まで、言葉がうまく喋れなくて、小さな体じゅうでいらだっていたものだ。それが今や、誰よりも自由に、豊かな言葉の海を泳いでいるようにみえる。


(写真はノボタンの花。かつて義母がわが家に置いていったもの。)
(2003/09)



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