・風邪と闘う・


これは完ぺきな風邪やな。おくすり出しとくさかいに、忘れんともろて帰ってや。ほな、体を暖こうして大事にすんやで。
といった調子で、医者は駅前の寂れた商店街の店主よりも愛想がいい。減価償却や保険点数の計算ばかりしていると、医学博士でもそうなってしまうのかもしれない。
赤い髭が生えていない医者は信用できないから、ぼくは風邪を引いても医者にはかからないことにしています。
けれども、これにはそれなりの覚悟も必要なのです。
容赦なく攻めてくる風邪の敵に対して孤軍奮闘するようなものですから、勝つためには、まずは敵を知らねばならないのです。
昼間は咳や鼻みずの責苦があることはもちろんですが、ぼくの場合は夜戦の方が問題なのです。敵はぼくが眠った隙を突いてきます。ぼくは夢の中で猛攻を受けることになるのです。

まず第1夜は水びたしです。ぼくの脳みそが、桶のようなものに入れられて水漬けになっているのです。ただ、それだけです。受取り方によっては、湯船にでも浸かっているような、浮遊感覚を伴った快い眠りに思われそうです。
ところが、これが苦痛なのです。眠りを快く感じるためには、適度の揺れや夢の内容に変化がなければなりませんが、そんな心遣いは一切なしです。ただ水の中に放り込まれたままで、それはむしろ捕縛されている感覚です。だから、ぼくは幾度も脱出を試みるのです。ああ、もうたくさんだ、と夢の中で叫びながら夢の外へととび出すのです。
こんな抵抗を1時間おきくらいに繰り返しています。そのたびに、頭を静めるためにトイレに行き、台所で水を飲んで体を冷します。別に喉が渇いているわけでもないのですが、水漬けになった悪夢の残像があるので、水を補充しておかないと、もし水切れでも起こしたら更に悪い事態がおきそうな予感がするのです。
これは脳が犯されているのと寝ぼけているのと、その両方のせいでしょう。さらには、現代医学を信用しようとしない無知蒙昧のなせる業でしょう。
こうして悪夢の第1夜をやっと脱出するのです。

昼間は咳と鼻みず、それと、うっかり昼寝をすると夜とおなじ強敵が現れます。昼夜猛攻を受けたのでは体力がもたないので、できるだけ昼寝はしないように頑張ります。風邪に犯された頭脳は、まことに奇妙な論理を展開するようです。
そして再び、魔の夜が襲ってきます。
さすがに敵も作戦をすこし変えたようです。第2夜は石攻めでした。眠りに落ちるやいなや、ぼくの脳は石にされてしまったのです。正真正銘の石頭です。もう何を考えることもできません。ぼくの頭は石になったと、そのことばかりを延々と考え続けます。
これはもはや夢ともいえません。液晶画面の壁紙のようなものです。ひとつの観念像がぼくの脳壁にべったりと貼り付いているのです。
ひとの脳は、あれこれと様々なことを思考するようにできているようですから、たったひとつのことを考え続けることほど苦しいことはありません。それも自ら望んだものならば快楽かもしれないけれど、この場合はスフィンクスよりも厄介な、風邪という理不尽な野郎に押し付けられた難題なのです。
ぼくはまた昨夜と同じように、うめきながら夢の外へ脱走します。トイレのあと、台所へ行き水を飲みます。今夜の給水の理由は、ぼくの脳が石になったのは水枯れのせいだと判断したからです。思考力もかなり乾いて朦朧としているようでした。
そして再び戦闘開始です。
石あたま、脱出、石あたま、脱出、石あたま、脱出、石、脱、石、脱、、、、、、、ああ疲れた。
明け方になると、石のかたまりだったぼくの脳は小さな無数の石ころになっていました。すこしは頭の体積が軟らかくなったように感じました。でもこれは、戦力の衰えたぼくの脳が都合よく逃げの体勢を整えている兆しかもしれませんでした。
いずれにしろ、夜が明ければひと息つけるのです。レースのカーテンがほんのり白くなったのにさえ救われる思いでした。

昼間は妻の脅しも加わります。風邪は万病の元だなどという恐ろしい言葉が降りかかってきます。あなたのは風邪を通りこして、脳膜炎とか脳溢血とかじゃないかと、ぼくを更に死の淵へ追いやろうとします。ぼくにはもはや、昼も夜も援軍はいないのです。
鼻をかみすぎて鼻は痛い。咳をしすぎて喉は痛い。髪は鳥の巣になってかゆいし、尻の穴も荒れて痛い。いまさら引くこともできず、身も心もぼろぼろになって第3夜に突入です。
やぶ医者よりも妻の診断の方が正しければ、今夜あたりは討ち死にするかもしれません。

敵は再び水攻めでやってきました。どうやら原始的な戦法が好きなようです。今夜はぼくの脳を水漬けにした上に、更にぐるぐると回転させるのです。メリーゴーラウンドに乗って遊んでいるわけではありません。ひとつの運動を繰り返す、それも強要されるということはまるで拷問です。
3夜目ともなると、こちらもすこしは慣れたとはいえ、体力も消耗しているので苦痛に変わりはありません。脱走、トイレ、台所、水、ひと通りの儀式を繰り返します。
夢の合間には、さすがに不安になって脳のチェックをしてみました。
1+1=2、ようし、計算力はパス。昨夜食べたものは何か。湯どうふ、ようし、記憶力は普段よりも良いくらいだ。詩作力はどうか。そんな、普段でも難しいことができるわけがない。定義は曖昧、内容は模糊、そんな面倒な詩なんかもう知らん。いまは右脳にまでかまっている余裕はない。あるわけない。
そしてまた夢の合間に考えます。
ひとが死ぬときの苦しみとは、きっとこのような苦しみにちがいない。ひとは死ぬとき脳みそが次第に萎縮して、最後にひとつだけ苦しみの領域が残されるのだ。今は臨終の状態に近いのかもしれない。しかるのちに呼吸が止まり酸欠状態になって一条の光が射し、きれいなお花畑が現れるのだろう。臨死体験者が語るあのお花畑です。
どうやら目覚めていても妄想が広がるばかりです。この分では右脳もまだ使えそうだ。ようし、とりあえずパスにしとこう。それに、お花畑もまだ見えそうにないし。

風邪はやはり悪魔の仲間でした。明け方になるとすこし腰が引けるようです。ぼくの脳の回りを渦巻いていたものが静かになって、一条の光ではなくて、細い糸のような水の流れができたのです。冷たい雫のようなものが脳から流れ出して、肩から胸へと、体の方へ下りてゆきました。ぼくはその雫の行方を夢とも現とも知れず追っているうちに、久しぶりに深い眠りに落ちていったのです。

連日の睡眠不足をとり戻すように、翌日は炬燵でうたた寝をしました。その短い眠りの中で、なんと、美しい女性とキスをする夢をみたのです。目覚めのあとも甘い感触が残っています。ようし、オスの機能もパス。おもわずガッツポーズの気分です。
これさえ正常であれば、生きものとしては生存の意義もあるというものです。
ぼくは生還の喜びにひとり浸りながら、眠りにはやはり、安らぎや喜びがなくてはならないと考えました。眠りが戦いであっては疲れるばかりです。
だから、風邪の面体(かお)など、もう見たくもないです。




(写真は、近くの公園で咲いている蝋梅(ろうばい)です。はや春の香り。)

(2006/02)



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