・かすかに見えるものの中に・


いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。
かといって、一部の若者のように世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっていると言った方がいいかもしれない。
そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。無益な衝突を避けるために、お互いに傷つけあわなくてもすむように、ささやかな平和と精神衛生上の見地から、お互い長いつき合いの間に身に付けてきた、生活の知恵を少しずつ出しあううちに、自然にこういう形に落着いたというまでのことである。
今のところ、この狭い空間の住み心地は悪くない。
以前は、カミさんが洗濯物を干すためにベランダに出る時、私の部屋を、まるで廊下のように通り過ぎるのが気になって仕方なかった。洗濯や料理や掃除などの家事で忙しく動き回っている身には、私のやっていることなどは、単なる時間つぶしの遊びに過ぎないのである。遊んでないで勉強しなさい、と言われる子供の気持ちがよくわかるのである。
そこで私は洗濯乾燥機になることにした。
洗濯機の仕上がりのブザーがなると、私はやおら洗面所に駆けつける。駆けつけるとは少し大げさで、実際は引き戸を1枚開けるだけのことである。そして私は洗濯物をベランダに運んで竿にかける。
これで私の部屋は乱されることがなくなり、余分な小言をもらう気遣いも減った。洗濯物の干し方についても、工夫をすれば結構楽しいものであるが、これについては、ここでは語らないことにしよう。
再び私の狭い部屋にもどる。
ガラス戸の外で、私の干したシャツやパンツが風に吹かれて揺れているのを見つめながら、私は詩を書いたり、古い日記を整理したりする。これが私の1日である。このような生活に、私は今のところ満足している。
ところで、私が整理している日記というのは、私の16歳から27歳くらいまでの間に書き記したものである。その頃、私は詩や小説を書く生活に憧れていた。私はそれ以前から読書が好きだったというのでもないから、なんら文学的な素養があったわけでもない。むしろ小・中学生の頃は漫画家になりたかった。手塚治虫や馬場のぼるにハガキを出したりするほどの漫画少年だった。
それが福永武彦の小説を読んでから漫画を捨てた。かなり感傷的な色彩を帯び始めていた私の想像世界を、漫画で表現することは難しいだろうと思ったのである。いま考えてみれば、私の描画力が未熟だったというだけのことであった。
結局は自分の想像世界を文章で表現することもできなかったのである。私は思うようにならない鬱屈した気持を日記帳に吐き出した。
27歳で私の日記は終わり、その後ふたたび日記をつけることはなかった。それは書くこと、すなわち文学への長い決別でもあった。
結婚をし、子供が生まれ、生計に追われる、ごく普通の生活が続いた。自分の家庭や仕事にもある程度満足した。その結果として、今の生活があることを思えば、それなりに納得できる人生だったかもしれない。最近の単調になりがちな生活に、ときどき変化をもたらしてくれる娘や孫たちにも恵まれている。
それはそれでいいとして、ここでまた日記に戻ると、1年前にたまたま自分のホームページを持つ機会があり、その時、貧弱だったコンテンツを埋めるために日記をアップすることを考えて、古い日記のデータ化の作業を始めたのだった。そして最近、21歳から22歳の頃の日記をパソコンに移したばかりなのだが、その頃の日記を読み返していると、なぜかキーボードを打つ手が幾度も止って仕方がなかった。
私はその頃も、今と同じように3畳の部屋に閉じこもっていたのだ。東京の郊外の空を眺めながら、周りも見えず、将来も見えず、自分自身のこともよく見えず、悶々として日々を送っている様子が、日記帳のどのページからも立ち上がってきた。
私にはさまざまな劣等感があった。体が痩せていること、貧乏であること、東京の人間でないこと、親友も恋人もいないこと、実存主義が理解できないこと、知的な会話ができないこと、数えればきりがないほどだった。
そんな私は何に支えられていたのだろうか。あるかないか判然としない希望だったのだろうか。はっきり判らないから、それは希望であり続けることができたのだろうか。それが若さというものだったのだろうか。
東京郊外の3畳一間の下宿の窓から外を眺めていた孤独な私と、今、ベランダの洗濯物を眺めている私との間には、気の遠くなるほどの歳月が横たわっている。その間に世の中は大きく変わった。まるで価値観が裏返しになったように変わってしまったのだ。
都会に工場の煙突が林立している風景は、「日本のマンチェスター」などと言われて、繁栄の象徴と見られていた。若者は都会に憧れた。食生活も貧しく、体格も貧相だった。常に栄養価の高い食品を取るように気を付けなければならなかった。アメリカでは道端に自動車や冷蔵庫が捨てられていると聞かされた。そんな話などとても信じることができないほど、日本は小さな貧しい国だった。若者は都会に憧れ、日本人はアメリカやヨーロッパに憧れた。
そして、変わった。
いまや一歩外にでると、道路は車が溢れている。少し山道に入ると、道端に古い車が捨てられている。テレビや洗濯機も捨てられている。現代では、人は物を捨てることに苦労している。
飽食の時代である。太りすぎた人も、痩せた人もいかに栄養価の低いものを食べるかに苦心している。食べ物も捨てられる。週2回のゴミ回収では追付かないほどのゴミの量だ。ゴミも多様化して、人はゴミを分別することで悩まなければならなくなった。自治体はゴミの隠し場所に困っている。都会のマンチェスターは喘息に悩んでいる。
そして、私も変わった。
肩がこりやすくなった。目が悪くなった。腰が始終傷んでいる。限界がみえるようになった。悪あがきをすることが少なくなった。残された時間を気にするようになった。
いま私の前途に、どれほどの可能性が残されているのかはわからない。先が見えないのは、若い日の私も今の私も変わらない。ただ、これから歩いていく道は、おそらく1本くらいしかないだろうと思う。そう思うと気楽でもある。この1本の道の向うに、どんなかすかな明かりであろうとも、そのかすかに見えるものの中に、何かがあるかもしれないと思う。
少しだけ希望があり、少しだけスリルがあり、そして少しだけ、いや、もう少しだけ頑張ってみようかといった、そんな力の入るものがあるということである。少なくとも、進む方向がぼんやりと見えているということだろうか。あとは、どこまで行くことができるか、それは神のみぞ知る、である。
3畳間のガラス戸の外の、ベランダの洗濯物の向うに、いったい何が見えてくるというのだろうか。




(写真はほころび始めた梅の花とメジロ。控えめに春を告げている。)

(2004/02)



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