・Into the Woods・


朝はたいがい、ぼくは近くの森へ入ってゆきます。
そこを森などというと、そこを知っているひとは笑うかもしれません。
あれは昔の雑木山のただの残骸じゃないか、公園の一角に見捨てられた鬱陶しい雑木林じゃないか、そこらの鎮守の森よりも貧相じゃないか。まあ、なんとでも言わせておきましょう。
魔女も赤ずきんちゃんもいません。妖精も小人もいません。もちろん南方熊楠もいません。でも、ぼくにとっては原始の森なのです。
その森をゆっくりと通り抜けてゆくとき、ぼくは縄文人になったみたいに気分がいいのです。縄文人になるということが、気分のいいことの比喩になるかどうかは分りませんが、衣服を脱ぎすてて裸になってゆくような爽快さです。そのとき、ぼくの頭の中に縄文人という言葉が浮かんでくるのです。

空を被う高い木々を見上げながら歩きます。
サワグルミの木があります。トチの木があります。サワグルミの葉は小さくて丸く、トチの葉は大きな魚のような葉っぱです。この葉っぱの形が気に入っています。
「家にあれば笥にもる飯を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる」(有馬皇子)ではないけれど、ご飯もおかずもたっぷりと盛れそうな葉っぱです。
トチの葉は、1枚1枚がしっかりした、いかにも葉っぱといった葉っぱです。この葉っぱに朝の光がさえぎられると、たちまちに原始の森にフェイドインするのです。

トチの実は、とても苦いそうです。
縄文時代の主要な食物のひとつだったそうですね。
奈良の十津川村では、「太古以来、ほんの30年ほど前まで、これが主食のひとつだったのである」と、司馬遼太郎は『街道をゆく』の中で書いています。同村の玉置山にある玉置神社の老神職に聞いた話として、トチの実の調理法も述べられています。
「まずあの固い外皮をむいて中身を灰汁(あく)に数日もしくは1週間つけておくことからはじまるのである。そのあと流れの速い谷川の水で1週間さらす。その上で木の臼に入れて舂(つ)き、それへモチゴメを入れて蒸し、しかるのちにだんごにして食う」という。

ついでに、玉置山の玉置神社の周りには、屋久島の縄文杉なみの、樹齢3千年という老杉が幾本かあります。米というものに初めて出会った、縄文人たちの喜びの声を、この樹は聞いていたかもしれないのです。また、古代の磐座(いわくら)がある玉置神社は、日本最古の神社だという説もあります。
その麓の売店で、ぼくはトチモチを買って食べたことがありますが、これは現代風に味付けされたものでしょうが、なかなかの美味でした。
とにかく、トチの実は独特の苦味を取り除かないと食用にはならないそうですから、食料の乏しかった土地で飢えをしのぐためには、大変な手間がかかったことが推測できます。

縄文人の生活を思うとき、ぼくは容易に子ども時代にタイムスリップすることができます。
雑木の茂った山や林を駆け回っては、いろいろな草木の実や根茎を食べたものです。あの頃、ぼくらは小さな縄文人だったのです。
カンネカズラ(葛)の根や、アマネ(ツバナ)という草の根を掘り出してかじる。アマネは春に出てくる若い穂のやわらかい綿のようなものも食べる。これは特に味もなかったけれど、ただ食べられるというだけのことで食べる。ギシギシという草の葉っぱと茎は塩でもんで食べる。山ブドウや野イチゴはごちそうの方だったし、秋になるアケビの甘さやアカミ(名前を知らない赤い実)の酸っぱさは、ノスタルジックな味の原点です。

なんだか、飢えた子ども時代だったようにみえますね。
実際、いつもお腹は空かせていたようですが、それよりも、とにかく野山にあるもので、食べられるものはなんでも食べてしまおうという、それは、動物じみた一種の遊びみたいなものでした。
たまごっちもゲームボーイもなくて、とてつもなく淋しくて、とてつもなく幸せな時代だったのです。
今よりもずっと、縄文時代に近かったのです。わお〜。

ずっと後年になって、同じものを食してみたけれど、どれも、とてもまずかったです。
歳月を経て、美味しいものがまずくなったり、まずかったものが美味しくなったり、リスやサルが木の実を美味しそうに食べているのを見ると、生き物にとって本当に美味しいものって、どんな味のするものなんだろうと考えてしまいます。
縄文人にとって、トチの実の食味とはどんなものだったのでしょう。
現代人が食べられないほど苦いと感じるものも、縄文人にとっては、それほど苦くはなかったのではないでしょうか。
朝食前の、たいがい空腹な縄文人のぼくは、森の中で、ついつい食べられそうな木の実を探してしまうのです。




(「Into the Woods」は、宮本亜門演出のブロードウェイミュージカルのタイトルから借用しました。)

(2006/06)



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