・いのちの言葉・


11歳の車椅子の少女。
12色の色鉛筆で、それぞれの色の12本の線をノートに引いた。彼女は左手しか使えない。
12色の線の横に、彼女は言葉を並べる。初めての詩だった。

    12色、
    ここには、12色のいろがある
    目立たない色もあるけれど
    みんな、
    がんばってる
    ひとつ、ひとつ

クラスメイトが校庭で体育の授業をしているのを、教室にひとり残って窓越しに見学していた車椅子の彼女に、「何か書いてごらん」と言って、12色の色鉛筆とノートを与えたのは家庭科の先生でした。
先日、NHKのドキュメント番組『いのちの言葉をありがとう』が放映されました。
小学5年生の夏、先天性の脳腫瘍が見つかり、余命は半年か1年と診断された少女。彼女の名は豊島加純(とよしま かすみ)。
残された短い日々の中で、彼女が書き残した14編の詩が紹介されました。

    なんか
    のほーほーんって
    かんじ?

これは、ある日曜日に書かれた詩です。
残された命の切迫感はない。そのことが反って、読む者の胸を締め付けてきます。
11歳の少女にしては、幼なすぎる感性の詩かもしれません。言葉が命の切実な部分にまでまだ届いていないようです。けれども、そのことが反って切ないのです。
彼女に、残された命の実感や死の恐怖がなかったわけではないのです。夜はひとりで寝ることを怖がっていたそうです。
心の中には、さまざまな恐れや、うまく捉えることのできない感情が交錯していたことでしょう。けれども、そのような深いところを掬い取る言葉の経験というものが、彼女にはまだなかったのでしょう。
だから、言葉として表現されたものは、明るさと素直さが溢れた、普通の健康な子どもたちの言葉と変わりません。

    生まれてすぐの赤ちゃんは
    ミルクのにおいがする
    1才ぐらいになると
    たいようのあたたかいにおいがする
    お父さん、お母さん、家族の人
    自然のぬくもり
    みんなの愛情をうけて
    人は成長してゆく       (『成長』)

彼女は3人姉妹の長女でした。
それぞれの詩には、かならず日にちと時間とサインが入っています。
『12色』の詩には、「2003年6月4日 10時10分」と入っています。『のほほん』の詩には、「2003年6月9日 12時34分」と入っています。
時間が、それも分単位できっちりと記録されているのは珍しいと思います。彼女の腕には、いつも見つめている腕時計があったのでしょうか。もしかしたら時計の時間だけが、彼女の命を正確に刻んでいることを、彼女は感じていたのかもしれません。

自分の命の時間を見つめることは難しいことです。言葉で自覚することはさらに難しいことです。
ぼくたちは詩や文章を書くとき、書くことによって自分の心の深層を探ろうとします。そして、言葉に置き換えようとすると、掴んだはずのものがばらばらとこぼれてしまうことがあります。
目では見えないものに言葉がどこまで届いているか、言葉でどれだけのものを他人に届けられるか、つねに不安な思いを抱えたまま書いています。
彼女が書いた詩も、その詩だけを読むと、ごく普通の少女が書いた詩に読めてしまいます。
けれども、残された短い命に向き合っている少女のことを思うと、彼女の言葉が届かなかった深い部分にまで、読む人は引き込まれてしまうのです。
人の心を捉える詩とは何でしょうか。言葉とは何でしょうか。

彼女の詩にはそれぞれ、色鉛筆で描かれたイラストが添えられています。
楽しみにしていた修学旅行の詩には、大きなハートの中に水色の涙が描かれていました。不自由な車椅子での旅行に疲れきった、そのときの彼女のかなしい気持が素直に表現されています。
彼女にとっては、心をハートの絵で表せるイラストの方が、心のより深い部分に届いていたのかもしれません。
彼女が書いた最後の詩は、『心』というタイトルです。

    心の中は
    見えない
    全て人に言えれば
    いいけれど
    なかなか言えない
    でも1人に言えれば
    すっきりするよ

         2003年6月25日 14時47分

彼女の心の中、いく人に届いたでしょうか。




(写真はハルジオンの花です。)

(2006/07)



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