・ふたりの私・


私は目下、当ホームページで古い日記の更新を続けている。
この日記の書き始めは1955年(昭和30年)である。私は16歳だった。
その頃ちょうど、川端康成の『16歳の日記』という短編を読んで強い刺激を受け、日記を書いてみる気になったのかもしれない。詩や小説というものに興味を持ちはじめ、文章を書くことへの欲求が高まっている頃でもあった。
私の日記は、日常雑記を綴った子どもの作文のようなもので、文豪の日記の足元にも及ばないものだったが、どういう熱情が僕を支えていたのか、それから10年もの長い間、日記を書き続けることになったのだった。

昨年の2月に、以前から関心のあったホームページを、やっと自分でも開設することができたのだが、当初はコンテンツなどといっても、それまでに書きためてあった自分史くらいしかなく、これからどのように充実させていこうかと思案していた。
いろいろなホームページを見てまわるうちに、日記というものがかなりのウエイトを占めていることを知った。日記は毎日更新されるものであるから、ホームページの鮮度を維持するには最適である、という情報も得た。
けれども、いまさら自分の日常雑記を公開するのは恥ずかしいし、引きこもりに近い生活をしている私にとって、そんなに変化や刺激のある生活があるわけがない。種切れになることは目にみえていた。それに毎日続けるということがなによりも億劫だった。
そこでとりあえず、長い間放置したままになっていた、古い日記帳を引っ張り出すことになったのだった。
すでに半世紀も近い歳月がたっているから、何かおもしろい発見もあるかもしれないという好奇心もあった。あくまでも動機は私的なものだった。
それにこの際、電子化して整理するのもいいかもしれないと考えた。こつこつと気が向いたときにタイプすればいいのだ、といった軽い気持ちのスタートだった。

だが最近になって、古い日記の更新がしばしば停滞するようになった。
入力作業はいま、22歳の日記にさしかかっている。キーボードを打ち続けることの肉体的な負担はもちろんあるのだが、日記を読み返すということ、昔の自分に向き合うということが、ここにきて、思いのほか辛くなってきたのである。
もちろん、すべては過ぎ去ったことである。若い自分を、未熟な自分を、笑いとばしてしまえばそれで済むことかもしれない。人は成長する。過去の自分は抜け殻にすぎない。人は過去を捨てながら生きているのだ。生きるということは、今日から明日への活動があるのみだ、などと達観してしまえば、それで済むことかもしれない。
けれども更新作業をするなかで、私はいま、22歳の私に向き合ってしまったのだ。日記帳を開くたびに、忘れていた若い私が立ち上がってくる。
22歳の私が65歳の私を問い詰めはじめる。お前は今までいったい何をしてきたのか、と。そして、65歳の私は22歳の私を責めることになる。お前はどうしてそんなに臆病なのか、お前は何をもたもたしているのか、と。

現代的にいえば、22歳の私はほとんどうつ状態である。すぐにでも心療内科に行ったほうがよさそうにみえる。
文章を書きたい欲求がありながらほとんど何も書けない。書いても書いてもものの核心に迫れない。自分の表現したいものが何であるかがよく解っていない。文章が実態から遊離している。それに、なによりも、生活がしっかり地についていない感じがする。薄暗いところをただ浮遊している。
古い日記帳から立ち上がってくるのは、そんな自画像だ。
責めたり責められたりして、ふたりの私が対峙している。私はこの状態が辛くて作業から遠ざかってしまう。

私にも過去の自分を捨てつづけた時期があった。
就職をして社会に出たとき、結婚をしたとき、子どもが生まれたとき、そのような節目節目に少しずつ過去の自分と、過去の夢を捨ててきた。それは好むと好まざるとにかかわらず、日々の生活に追われるなかで、すこしずつ変身せざるをえなかったのだ。そして、文学とも決別した。

古い日記の中の22歳の私、それも私が捨てた私だったのだろうか。
だが、完全に捨てた私であったら、いまさらまた、まともに向き合おうとするはずがない。もしかしたら、ふたりの距離はためらいながら近づいているのかもしれない、とも思ってしまう。
私は今の状態を、まだ整理して言葉にすることができない。
けれども、いま再び詩を書くことに喜びを見出している私は、壁の前に立ちつくしている22歳の私に、強い親近感を覚えているのも確かである。ふたりの私は案外近いところに立っているのかもしれない。ふたりとも逡巡している。




(写真はガクアジサイ。雨あがりにいちだんと色合いが冴える。)

(2004/06)

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