・花のいのち・


今年も桜が咲きました。
最近は咲き初めから満開まで、桜の花の移ろいに、じっくりと浸れる時間が多くなったような気がします。それだけ、隙間のある生活をしているということかもしれません。
中空に浮かぶ桜の華やかさを、ひんやりとした影の方から見上げている感じがして、満開の桜をいくら眺めていても、どこかに埋められない隙間が残ってしまう、そんな淋しさが漂う花の季節でもあります。
桜にとって開花は、1年の生成のサイクルのひとつにすぎないのでしょうが、花の時期の儚くて華麗な一瞬には、蜜蜂でなくとも引き寄せられてしまいます。そして、満開の桜の、あけっぴろげな明るさと後ろめたさに耐えられなくて、ひとは桜の下で騒いだり酒を飲んだりするのかもしれません。
いずれにせよ、花の季節は短いのです。あれこれ考えてる暇はないのです。酔って狂うしかないのかもしれません。

    花の色はうつりにけりないたづらに
    わが身世にふるながめせしまに

これは説明するまでもなく、平安時代の歌人・小野小町の歌ですが、桜の季節はことさらに時の移ろいの速さが感じられて、花びらの間から射し込んでくる陽射しのように、この歌がちらちらと脳裏をかすめてすぎるのです。

だいぶ以前に、小野小町の伝説を元にして詩を書いたことがあります。和歌の雰囲気を生かした定型の詩で、演歌の歌詞に近いものでした。
そのときに、ネット上でぼくの詩を読んだという人からメールを貰ったことがあります。群馬県で図書館の司書をしているという人からでした。
メールの内容は、ぼくの詩に関するものではなく、詩に引用した小野小町の歌について問い合わせてきたものでした。
その歌というのは、

    面影のかわらで年のつもれかし
    たとひ命にかぎりありとも

というものでしたが、その人はこの歌をずっと探していたということで、その出典を教えてほしいというものでした。
ぼくが引用した小町の歌は、詩作に当たってネット上のあちこちのサイトから収集した歌がほとんどだったので、もういちど、それとおぼしいサイトを当たってみましたが、この歌だけがどうしても見つかりません。
相手が図書館の司書ということなので、いいかげんな返答もできず、近くの図書館に出かけて、『古今集』、『新古今和歌集』、『後選集』などの勅撰和歌集や『国歌大観』という大部な本まで調べてみましたが、探す歌はついに見つからず、もしかして小野小町ではない、他の歌人の歌を引用してしまったのではないかと、不安になりながらその旨レスのメールを送りました。

その人からの再度のメールによると、この歌は京都のあるお寺の、姿見の池というところで詠まれたものらしいということでした。
この歌が小町の歌として存在することはほぼ確かなようでしたが、なんせ伝説の多い小町のことです。姿見の池というのもどこにあるのか皆目わからず、なお詳しいことがわかったら連絡し合うということで、この件はそのままになってしまいました。
けれども、この歌のことは、その後も頭の隅に引っかかったままになっていたのでした。

「あきたこまち」というのは秋田県の米の銘柄ですが、小野小町が秋田で生まれたという説はかなり有力なようです。多くの伝説に包まれて靄の中のような小町は、その生誕や終焉の地についてもさまざまな言い伝えがあります。
秋田で生まれたのはほぼ間違いないとしても、小町という名から類推できるように、のちに京に上って後宮に仕えるわけですが、終焉の地についても、京都のあちこちをはじめ、秋田や茨城、鳥取や山口と、さらに多くの地名が挙がってくるようです。

ところで、このほど偶然にネット上で、あの「面影の……」の歌に再会できたのです。
それによると、小町は秋田県雄勝町で生まれ、成人して京に上るが、再び郷里に帰って亡くなったとして、この歌は、小町が雄勝町で亡くなったときの辞世の歌だというものでした。
この情報にどれだけの信憑性があるかはわかりませんが、とりあえずこのことを、群馬の司書さんに知らせようと思ったのですが、すでに数年が過ぎて、アドレスも消してしまったらしく、もはや連絡の手段も見つからないのでした。
もしも今でも、そのひとが小町のあの歌を追い続けているようだったら、再びネットの糸で繋がることもあるかもしれません。今はそんな期待だけを残しているところです。

それにしても、「面影のかわらで年のつもれかし」とは、最期まで美しいままでいたいという熱い思いが感じられるのですが、これも、伝説のなかに生きつづける美女の、辞世の歌としてはありなんでしょうかね。たとひ命にかぎりありとも……。




(写真は、4月9日満開の今年の桜。)

(2006/04)



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