芝居小屋




子ども達の口げんかにケンカ言葉というのがあった。
たとえば、相手がヨッちゃんだと「ヨッちゃん ヨがつく ヨりやの ヨんすけ ヨって ヨられて ヨりころされた」と言って罵る。ケンちゃんだと「ケンちゃん ケがつく ケりやの ケんすけ ケって ケられて ケりころされた」となる。語呂が合って気分がすっきりするのだが、これが、アキちゃんだと「アって アられて アりころされた」で、どんな殺され方かわからなくなる。
また、ハナイチモンメという遊びがあった。
ふた組にわかれて向かい合い、それぞれの組の子は手をつないで立ち、相手方のひとりを選んで、「○○ちゃん 取りたや ハナイチモンメ」と唄いながら相手の方へせり出していき、そのままの格好で再び元の位置に戻る。次は相手も同じように「○○ちゃん 取りたや ハナイチモンメ」と応じた後で、指名された者どうしがみんなの前に出て引きっこをする。勝った方は負けた子をそのまま自分の仲間に加え、「勝ってうれしや ハナイチモンメ」と唄い、負けた方は「負けてくやしや ハナイチモンメ」と唄って返す。ハナイチモンメは花一匁で、花が一匁ということだが、手の平に載るほどの花に、昔は大きな意味があったのだろうか。
男の子たちが好んでする遊びはチャンバラごっこだった。
竹の棒が刀になり、腰に差したり振り回したりしてふざけ合うのだが、その時、イイグミ(良い組)とワルグミ(悪い組)というのが決められる。イイグミは正義の組なので、どんなに斬り合っても負けることはない。イイグミ、ワルグミの振り分けは子ども達の力関係でもあった。それぞれに役柄や大まかな筋書きがあって、芝居小屋でみた芝居や映画の格好よさを真似ることが多かった。チャンバラは「本日のキリキョウゲンは……」と叫びながら始める。
芝居がかかる日は、役者の衣装をつけたチンドン屋が回ってくる。
「本日のキリキョウゲンは……」と言って始まる口上の「切り狂言」とは、斬り合いをするチャンバラのことだと思いこんでいた。芝居の筋などほとんど解らないわけだから、チャンバラだけに関心があり、そこでイイグミ、ワルグミを見分けることが、子ども達の芝居の見方だった。
芝居や映画がある日は一日中、芝居小屋の拡声器から演歌が流れていた。芝居小屋は銭湯の2軒となりの、道路からすこし入った突き当たりにあり、正面が映写室で両側に出入口があった。いつもは右側が木戸で、入ると客席は板張りの床だった。右手に一段高い桟敷があり、舞台に向かって左手に花道、その後ろが便所になっていた。
芝居が始まるまで、子ども達は舞台のそばにたむろして、幕を揺らしたり引っ張ったりして騒いでいた。重たい幕のすそを揺すると役者たちの白粉の匂いがした。
芝居はおもな娯楽だった。玉来の祭りには神楽と芝居は欠かせないものだったが、祭りの時には路上ににわか造りの舞台ができ、夜になると素人芝居が演じられた。役者の演技の上手下手は別にして、見慣れた人が化粧をして別の人間になってしまうのがおかしかった。舞台は一段高くなっていたが、観客はみんな路上に立ったままで観劇する、というより見物する。芝居の舞台は何か所かに設けられて競演しているようだった。祭りの時は、昼はお神楽で夜は素人芝居だった。
テレビがまだなかった頃だから、家庭でのおもな娯楽はラジオだった。戦後売り出された五球スーパーというラジオが大概の家庭にあった。電波の受信具合がわかる丸いマジックというものが付いていた。五球スーパーマジック付というラジオである。夕方の子供番組は『新諸国物語』の『笛吹き童子』や『トムソーヤーの冒険』などだった。耳で聞くだけで物語の展開を想像していたわけだが、今でも笛吹き童子やトムソーヤーが映像となってよみがえってくるから不思議だ。夜は浪曲や落語、それに『君の名は』のような連続ラジオ劇を家族みんなで寝ながら聴く。わが家のラジオは、電波障害があったのか、ラジオが悪かったのか、よくガーガーと雑音が入って、放送の内容がまったく聞こえなくなることがあった。
近くでテレビが初めて入ったのは山手の電気屋さんだった。裏山に高いアンテナを立てたということだった。行ってみると店の前の道路はいっぱいの人だかりだった。何かが動いている映像だけで、何が写っているのかよくわからなかった。竹田は山間地だからテレビが普及するのは無理だといわれていた。
玉来には、花澤マコト一座という芝居の一座があった。生活の拠点も玉来に置いて地方巡業などをしているようだった。花澤マコトは役柄によって男にもなるし女にもなるので、実のところ男なのか女なのかわからなかった。花澤マコトという名前の響きにはみんなが憧れる輝きがあった。
デンシャ劇という変わった芝居を観たことがある。芝居の途中で突然舞台が暗くなり、映写幕に映画が写されるのだった。今まで舞台に出ていた役者がそのままスクリーンに登場してくるのだが、背景が野外に変わってチャンバラが始まる。デンシャとは電写のことだったのだろう。芝居と映画を組み合わせた斬新なものだったのかもしれない。けれども幕が斜めになったり揺れたりして、映写された役者の顔が伸びたり縮んだりした。
映画はまず古いニュース映画から始まる。マンガ映画がおまけで放映されることもあり、いつもポパイが出てくるアメリカのマンガ映画だった。さんざん負かされたポパイが缶詰のほうれん草を食べると強くなって、恋人のオリーブをブルータスの手から救い出す、お決まりの筋だが漫画だからわかりやすくて楽しかった。
映画は途中で画面が消えてしまうことがあった。雨が降るような古い映画だからフイルムが突然切れてしまうのだ。夢の世界からいきなり暗闇に戻された観客がピーピー口笛を鳴らして騒ぐ。夏の夜など、冷房装置のない頃だったから、風を入れるために開けた窓から、蛍が入ってきて暗闇の中を飛び交うこともあった。ある時など映写技師がフイルムの順番を間違えたので、話の筋が元に戻ってしまい、死んだはずの人間が再び登場して大騒ぎになったこともある。
芝居見物から帰る人たちの下駄の音や話し声を、夜更けの寝床の中で聞くこともある。芝居を観ることができた人たちの幸せそうなざわめきが遠ざかっていくと、芝居に行けなかった悔しさもおさまってゆくようだった。
子ども達は芝居小屋の表に待機して、映写室のドアが開いたりすると、映写技師の動きを目で追ったり、四角い小さな映写窓から聞こえてくるトーキーに耳をすませたりするのだった。映写途中でフイルムが切れると、映写技師はリールをカラカラ回しながら急いで切れた部分をつなぐ作業を始める。そのとき映写室の外に捨てられるフイルムの切れ端を子ども達は競って拾った。
フイルムの切れ端を明かりに透かして見ると同じ映像がいくつも連続している。人の動作が止まったままの静止画と、動きのある画面との間にある深い謎を発見しようとするのが、子どもたちの遊びだった。
その頃は、黄色い硫黄の固まりだとか、水晶だとか、サフランの赤いシベだとか、いろいろなものが子ども達の宝物になるのだったが、私にとっては、芝居小屋で拾った映画フイルムの切れ端が宝物で、それは長い間、セルロイドの筆箱の底に大切にしまわれていた。

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