赤淵の河童




子供の頃、川には河童というものが本当にいるのだと思っていた。
夜になって川の方からヒューヒューという何かの鳴き声が聞こえてくると、暗い水面に顔を出して浮いている河童の姿を想像したりしたものだ。
夏など、川へ泳ぎに行く前に、神棚に供えてあるご飯を食べて行く。そうすると、川で泳いでいる時に目が光るので、河童が恐がって近寄ってこないのだと教えられていた。河童は子供たちの尻の穴から血を吸いとるので、泳いでいる内に体の力が抜けて溺れてしまうのだ。
夏休みになると、子供たちは半日は川にいたから、子供も河童も見分けがつかないほどだった。湧き水が混ざっている川の水は、午前中はまだ冷たいので、お昼ごはんが済むとすぐに、パンツだけになって裸足のまま川へ突っ走る。当時は道路も舗装されていなかったので、真夏の太陽に焼かれた石ころや土の路面は、足の裏を火傷しそうなほどだった。
子供らがいつも泳ぎに行くところは赤淵というところだった。
玉来川は、玉来の街道筋とほぼ平行に流れている川で、狐頭様と呼ばれた稲荷神社の下の辺りから国鉄の鉄橋のあるときわ橋、拝田原の方へと流れていた。赤淵というところは、狐頭様の下からまっすぐに流れてきた川が、そこで急に直角にカーブしたところで、勢いよく瀬が流れ込んできて川の縁に突き当たると、一方の流れは逆流するように大きな渦となって淀みをつくり、もう一方の流れは下流へと少し緩やかになって拡がり、やがて中島を挟んで2つの流れに分かれていた。大きな瀬と深い淀みと砂浜がある。このような限られた場所で、夏の間、私たちは真っ黒な河童になりきって過した。
この赤淵では、泳いで向こう岸に渡るということが、まず最初のハードルのようなものだった。泳げない者は、下流の浅いところから他へは行くことができない。向こう岸には砂浜があり、体が冷えると熱した砂の上に腹ばいになって体を暖めることもできるし、田んぼの温んだ水に温泉のように浸かることもできる。砂浜ではいろいろな遊びに加わることができる。向こう岸へ泳いで渡らないかぎり、ただ憧れて眺めているだけしかできない。
泳ぎを覚えるのは偶然のようなものだ。
忘れもしない、台風の後の増水した川で、私の体は水に浮いたのだった。いつものように浅いところで水しぶきを上げながら川底に手をついて動き回っていたとき、突然、大きな波が私の体を持ち上げた。その瞬間、私は体が水に浮く感覚を知った。
それから少しずつ向こう岸に渡るための準備を始める。初めは犬かきという泳ぎだからなかなか進まない。向こう岸を目指しても泳ぎきる自信がないので、再びこちらの岸へ戻ってしまう。川には流れがあるから、力がないと上流から泳ぎ始めても向こう岸に着く前に下流に流されてしまうのだ。
そして向こう岸に泳ぎ渡る日がくる。手足もとれそうなくらい必死に泳いで向こう岸にたどり着く。この時からやっと、赤淵の河童の仲間になれるのだった。
向こう岸には、小さな古橋や橋爪がいて毎日オリンピックをする。勢いのある瀬の上流からスタートして下流の浅いところでゴールする。くりかえし幾度も競技をして、体が冷えると棒高跳びや3段跳びをする。疲れて砂浜に寝転がっていると、真っ白な入道雲が勢いよく青空に伸びていく。急にセミの鳴き声がいっせいに襲ってくる。やがて体が熱くなると、雲もセミも振り払って再び川に飛び込む。
川は子供たちだけの世界だった。大人たちはみんな忙しいからだ。けれども、ひとりだけ大人がいた。彼にはひそかに原始人というあだ名がついていた。原始人のゲンちゃんで、みんなは彼をゲンちゃんと呼んでいた。色が黒くて髪が長く、前歯が出ていて、少し猫背のずんぐりした体は、いかにも原始人の風貌だった。
ゲンちゃんはいつもクロールしかしない。ゆっくりと腕を水から抜き、顔をしっかりあげて息つぎをし、足は折り曲げて大きな水しぶきをあげる。すべての動作が極めてゆったりしていたので、とてもクロールにはみえなかった。子供たちからみると滑稽な泳ぎだった。彼は年も私たちとは離れていたから、最初はお互いに交わることもなかったが、彼の風貌や泳ぎ方をからかっているうちに、彼はいつのまにか子供たちの仲間になっていた。彼も河童たちの仲間になれたことが嬉しそうだった。大人の世界ではどじでうまくやれないが、子供とは波長が合う、そんな大人だった。
一緒に競技をしても、ゆっくりな泳ぎ方だったからゲンちゃんはいつもビリだ。子供らは大人に勝つことが快感だったが、ゲンちゃんは勝ち負けには頓着していなかった。ただ言われるままに子供らのゲームに参加していた。どれだけ長く水中に潜っておれるかとか、砂地を助走してどのくらい遠くの水面に飛び込めるかとか、誰かが川底に置いてきた目印の石を誰が見つけて取ってくるかとか、子供らのゲームに際限はなかったが、ゲンちゃんの成績はいずれも良くなかった。そんなところが子供らには歓迎された。
いちどだけ、向こう岸の砂地にテントを張ってキャンプをしたことがある。夜のテントの中で、この時はゲンちゃんが主役になって大声で軍歌を歌い、みんなが一小節ずつ教えられるままに復唱した。
「天に代わりてフギヲウツ チュウユウムソウの我が兵は カンコノコエニ送られて……」
ゲンちゃんは軍歌しか歌えなかったが、軍歌を知っているのは彼だけだったし、彼が発する歌の言葉の熱気は子供たちにも伝染した。この夜だけはゲンちゃんが熱く輝いてみえた。
夏が終わって、ある日、ゲンちゃんが前の道路を歩いていくのを見かけたことがあるが、赤淵のゲンちゃんとは別人のように、彼は妙に恥ずかしそうに会釈して黙って通り過ぎていった。仕事もせずぶらぶらしている肺病やみの変な人だというのが、大人たちの評価だった。ゲンちゃんはやはり、川でしか元気が出せない河童の仲間だったのだ。
赤淵に新しいお祭りを持ってきたのは菅原のヤッちゃんだった。
彼がどこから越して来たのかは知らないが、以前に住んでいたどこかの土地のお祭りを、同じように再現しようとしたのだろう。
その日はすべてヤッちゃんの指示で、向こう岸の砂浜でお祭りの準備をした。まず太くて長い孟宗竹を1本用意して、竹の先の部分を細かく裂いて大きな篭状に縄で編んでいく。その篭の中に藁などの燃えやすいものをいっぱい詰め、篭を空に向かって持ち上げるように孟宗竹の柱をまっすぐに立てる。根元の方は砂地に埋め、回りに大きな石などを積んでしっかり固定する。次は夜になる前に、松の幹を細かく裂いて束ねたものに縄をひも状にたらした松明を用意する。この特製の松明に火をつけて縄の先をぐるぐる振り回して勢いをつけると、昼間作った篭をめがけて夜空に向かって放り上げるのだ。それぞれの松明は柱の回りから思い思いに投げられるから、燃えた松明が細かい火の粉を散らしながら幾つも夜空で交錯する。こうして火の祭りが始まると、川の向こうにはわずかな見物人も集まり、叫び声や歓声の中で次第に熱気を帯びていく。やがて誰かが放った松明が篭の中に入ると、篭は勢いよく燃え上がって祭りは終わる。
ヤッちゃんは大きな頭をしていたので、ガボというあだ名が付いていた。この地方では頭の大きいことをガボというのだった。ある時、学校帰りにヤッちゃんのことをみんなでガボガボと言ってからかっていると、急にヤッちゃんが怒りだした。みんなはすばやく逃げてしまったのだが、のろまな私だけが彼に捕まってしまった。
きっとこっぴどく殴られるだろうと体を硬くしていると、彼はそれほど怒っている風もなく、私の腕をしっかりつかんだまま、あんなバカどもの仲間でいるのはやめろと言って説教を始めるのだった。それは、私がそれまでに体験していた子供同士の関係とは異質のものだった。その時の彼はかなり大人に近いところにいる子供だった。いや、少年といえるものだった。少年と子供との間には隔たりがあることを、彼の落ちついた口調は証明しているようだった。意外に感じた彼の優しさは、まだ子供だった私には大きな衝撃だった。
赤淵の河童たちは、雨が降りだしても泳ぎを止めなかった。雨に濡れて体が冷えてくると、まだ太陽の熱が残った大きな石の上に腹這いになって温まった。川苔のような匂いがする生暖かい蒸気に包まれながら、背中は容赦なく打ちつけてくる雨に耐えている。そうしていると、夕立だからまた夏の日差しが戻ってくるのだった。
空腹になると、川岸にあるクルミの木をめがけて小石を投げる。落とした実は石の上で砕き、種の中から白い実を取り出して食べる。石で砕くから実と殻が一緒くたになっている。口の中で殻の固い部分を選り分けるようにして、殻を吐き出し吐き出し食べるのだ。
夏が終わりに近づくと、急にせわしなく風が吹きはじめ、入道雲も遠くへ退いていくようにみえる。岸の竹薮も激しく揺れて騒がしくなり、さざ波が川面を掃くように流れていく。トンボも数を増してあわただしく頭上を飛び交い始める。細い竹の棒で飛んでくるトンボをねらって振り払うと、一瞬かすかな手応えを残してトンボは落下する。水面に落ちたトンボは四枚の羽を広げたまま川下へ流れていく。楽しかった夏が残り少なくなってゆく悔しさに、子供たちはつぎつぎにトンボを生贄にする。
そして、とつぜん赤淵の夏は終わる。

先頃、何十年ぶりかで、玉来川のそばに出来たスーパーの駐車場から、懐かしい赤淵の様子を見ることができた。だが、そのとき目の前にあったのは、かつての赤淵ではなかった。勢いのある瀬の流れもないし、向こう岸の砂地もない。水量も減って、川岸の石の表も乾いて汚れているようにみえた。向こう岸は大きな道路に貫通され、かつてそこにあった田んぼも竹薮の茂みもなくなって、年老いてやせ細った川があるだけだった。長いあいだ私の記憶の中に生き続けていた赤淵の姿ではなかった。
この川には、もう河童もいないだろうと思った。

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